FIREまでの道のり

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幼少期〜大学時代:「お金持ちになる」という漠然とした夢

子どもの頃から私は、「いつかお金持ちになりたい」「FIREしたい」とぼんやり思っていました。テレビで投資家や企業家を見ては、将来自分も…と夢見ていました。中学・高校生になると、その想いは「憧れ」に変わり、進路も少しずつ具体化。

ですが、現実の私が卒業後に選んだ道は「サラリーマン」。上場会社に就職しました。当時、その業界は低迷しがちで、就職先も上場ながら「赤字・債務超過」。理想と現実のギャップを、私はそのときすでに感じていたのかもしれません。


新卒〜10年目(20代〜32歳):会社のために捧げた日々、そして精神の崩壊

「自分が会社を復活させたい」――若い情熱に突き動かされて働きました。営業成績はトップクラス、自社株も、自分の給料・ボーナスから積極的に購入して、「企業価値を自分の手で高める」という理想の中にいました。

でも現実は違った。貢献しても、社内での評価はすぐに当たり前になり、昇進も報酬も伴わず、むしろ「もっとやれ」「常に足りない」と評価される始末。嫉妬や閉鎖的な組織文化が私を追い詰め、いつのまにか、まわりの視線を気にして「他人のためだけに生きる自分」になっていました。

そして32歳、私はうつを発症。診断と療養の中、ようやく「自分って何のために生きてるんだろう?」と、自分自身に向き合う時間が生まれました。


32歳・転機の一冊:『金持ち父さん貧乏父さん』との出会い

眠り続ける中で手に取った本は、ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』でした。「会社のために捧げれば、サラリーマンは捨てられる」――そんな現実が、私の世界を一変させました。

「これからは、自分のために、自分で資産を築こう」――この言葉が、私にとって人生の方角を変える強烈な覚悟になりました。


30代前半:1,000万円から始めた投資挑戦

2003年、療養中に貯めていた住宅用資金の1,000万円を元に、株式投資を始めました。選んだのは、海外売上比率が高く、財務の安定した国際優良株。東京エレクトロン、任天堂、村田製作所…「持ち続ける価値」を信じ、リーマンショックなどの暴落時には買い増し。生活も給与も依存せず、資産が心の拠り所になりました。


30代後半〜40代前半:暴落を乗り越えて「億り人」に

2013年、アベノミクスによって持ち株の株価は急上昇。私は着実に資産を伸ばし、2017年にはついに「億り人」に。株価の力を実感しつつも、「本当の勝負はここから」と、自分自身に言い聞かせました。


2021年〜2022年:資産2億円突破&退職へ

2021年、資産が2億円を突破。そして2022年、地方支店への異動命令。年功序列と評価制度に縛られた会社員生活ではなく、「自分で築いた資産で生きる人生」を選び取り、退職へと踏み切りました。これが、私にとってのFIRE生活の始まりでした。


現在:FIRE生活と「資産を活かす戦略」

今は高配当株・外国債券・カバードコールETFを中心にポートフォリオを構築。不労所得が日々の生活を支えています。一方で下落時にはスイングトレードも実施し、収益を上積み

さらに、自らの経験を活かし、投資とキャリアのアドバイスを発信中。若い世代が「他人のためではなく、自分の人生を切り開く」後押しをしたいと考えています。


次世代への想い:投資教育と地域貢献

FIRE生活の傍ら、地域でのボランティア活動も続けています。週末は子どもたちにスポーツを教え、心の土台づくりを支援。「期待されるプレッシャー」によって自分らしさを見失ってほしくない――私自身の経験が、ここに活かされています。


まとめ:苦悩が錬成した“自分軸”――そしてこれから

  • 他人の期待に応え続け、自分を見失った過去
  • 病を経て出会った「自分軸」という価値
  • 投資から学んだ継続の力、人と違う道を歩む勇気
  • FIREを達成し、資産と向き合う日々の信念
  • 今、自分ができることを次世代に伝える使命

エピローグ

この半生は、一見すると「波乱万丈」に見えるかもしれません。でも私にとって、それはすべて「自分を取り戻し、自分で未来を切り開いた軌跡」でした。

今は、資産と時間にゆとりを得たことで、自分らしい人生を実感しています。そして今後も、自分軸とは何かを問い続け、伝え続けていきたいと思っています。

もしこの話に共感し、あなたの人生の一歩につながるなら、それが何より嬉しい――そう思っています。


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