サラリーマン時代の限界を知った日 ― 働き方を変える決意
私がサラリーマンだった頃の働き方は、日本企業の多くがそうであったように、年功序列と終身雇用が当たり前の時代でした。
たとえ成果を出しても、昇進や給与はほぼ一律。しかも、労働組合が強く、解雇や降格の心配もほとんどありませんでした。そのため、社員の多くは守られている安心感の一方で、仕事への意欲を失い、会社全体が“ゆるブラック”な雰囲気に包まれていました。
結果として業績は低迷し、ついには倒産危機ランキングの常連となっていたのです。
20代で挑んだV字回復 ― 若さゆえの猛烈サラリーマン時代
そんな中、私は20代のうちに「自分がこの会社を変える」と本気で信じていました。
とにかく営業に全力投球し、結果も伴いました。営業成績は常にトップクラス。さらに、会社を信じて自社株も毎年上限いっぱい購入し、年間100万円以上を投資。まさに“会社愛”にあふれたサラリーマンでした。
しかし、その一方で、私は24時間体制で働き続けていました。自腹で携帯電話を購入し、休日も呼び出しがあれば即対応。まさに猛烈社員。
しかし、32歳のとき、心と体がついに限界を迎えました。メンタルダウンにより、朝起きても体が動かない日々が続いたのです。
燃え尽きた先に見えた「窓際族」という合理的働き方
復職後、私を待っていたのは昇進も昇給もない“同世代一律”の現実でした。
燃え尽きた私は、意識的に「ブレーキを踏む働き方」に切り替えました。つまり責任ばかり重くなる“働かされ放題プラン”から抜け出すためです。
ここで言う「窓際族」とは、怠けることではありません。むしろ、最小の労力で最大の成果を出す合理的なサラリーマン像のこと。無駄な飲み会・ゴルフ・麻雀などの“昭和的つながり”をすべて断ち切り、時間を自分のために使う。これが、私にとっての新しい働き方の始まりでした。
サラリーマンから投資家へ ― もう一つの働き方を見つける
同時に私は、サラリーマンの収入だけに頼らない働き方を模索し始めました。つまり、「労働収入」ではなく「資産収入」を育てる方向にシフトしたのです。株式投資を通じて不労所得を積み上げることを決意。毎月の給与の一部をコツコツと投資に回しました。
その結果、47歳で資産1億円を達成し、いわゆる“億り人”に。53歳でFIRE(経済的自立による早期リタイア)を実現しました。
働かない自由ではなく、「自分で働きを選ぶ自由」へ
現在は専業投資家として生活しながら、週末は地域の子どもたちにスポーツを教えています。そしてコミュニティ活動を通じて社会とのつながりを保ちつつ、自分のペースで働く。これが私にとっての理想的な“令和の働き方”です。
結局のところ、サラリーマンとしての安定を経験したからこそ、別の働き方の価値にも気づけました。つまり大切なのは、どんな働き方を選ぶかを「自分の意思」で決めること。守られる生き方も、挑戦する生き方も、どちらも正解です。
あなたも、今の働き方に少しでも疑問を感じているなら、あなたも次の一歩を考えてみてください。それが、未来の自由につながる第一歩になるのです。
あなたはどのような働き方をしていますか、コメントで教えてください。
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