FIREして最初の1年【後編】
3つの恩返しと、勤務先消滅を知った日の静かな解放
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、
- FIRE翌日のカーテンを開けた朝と
- 「DIE WITH ZERO」への違和感を
中編では
- 御園座での竹田和平さんとの出会いと
- 「旦那道」という哲学を
お伝えしました。
この記事では、私が、
- FIRE後に実践した3つの「恩返し」と
- 勤務先消滅を知った日の静かな解放感を
お伝えします。


第3章:3つの「恩返し」——スポーツ協会・投資勉強会・簿記3級
①スポーツ協会の役員——街への恩返し
FIREしてから、息子が入校したのがきっかけで始めたボランティアのスポーツコーチの居場所をさらに大切にしました。
そしてすぐに役員への昇格を希望して執行部として運営の中心にいます。
「誰でも価値がある」——育成法での指導
ここで私が大切にしているのは「育成法での指導」です。
- チャレンジに成功したら褒めて
- 失敗しても励まして
- 子供たちを認めてあげる
そして決して怒られないノーリスクな環境を作り出すことで、子供たちの心の中に土台を作っていきます。
「誰でも価値や認められるところはある、それを指導者が探してあげる」
——これは窓際族時代に会社では決してなかったことで、やってほしかったことです。
だからこそ大切にしています。
自然についてきた肩書き——会社との違い
この活動の実績が認められ、競技種目の「種目協会」の役員で副理事長職にも選ばれました。
さらに市町村のスポーツ協会の委員にも選出され、市のスポーツ振興課とタッグを組んで住民のスポーツ振興・催しもの運営に参加しています。
今では市町村の広報誌やYouTubeに掲載されるようになり、講演もするようになりました。
勤務先では20代に相当な営業成績を上げても年功序列という返事しかもらえませんでした。
でも「街に興味を持つ」「人に興味を持つ」という原点で活動していると、ここでは自然に肩書きがついてくるのです。
しかも役職名で呼ばれることはありません。
少し尊敬を込めて気さくに「前田コーチ」と呼んでくれます。
20代のとき役職名で相手をひれ伏せさせようとしていた私とは全く違います。
そして信頼されている、認められているという実感が、心地よいのです。
- 「街に興味を持つ」
- 「人に興味を持つ」
——これは幼少期に東大阪の路地裏で育った原点だったと思います。



②投資勉強会——「戦友」を探した
孤独な投資家から戦友を探す旅へ
会社員時代は窓際族として誰にも投資のことを言わず、隠れ資産家として21年間過ごしていました。
そして投資の勉強は図書館の本とブログだけ。
いつも孤独で投資をしていたのです。
でもFIREして投資家としての自信と時間が生まれたので、投資法や資産を自慢するためではなく、長年株式投資の世界で生き残ってきた人たちと話がしたくなりました。
いわば「戦友」を探したかったのです。
リーマンショックやコロナショックで個人投資家として感じたこと、失敗した銘柄、思い出に残る銘柄を赤裸々に語り合いたかったです。
1億円を達成したとき誰にも言えませんでした。
でも実は「他の投資家はどう思ったのか、祝ったのか」という感情が、勉強会に参加するという場で初めて出てきました。
主宰者として「語り合える場」をつくる
そこから、私は投資勉強会を主宰するようにもなりました。
自分が欲しかった「語り合える場」をもっと作りたかったからです。
今では毎月1回、決まった仲間と銘柄を分析・発表して色々な話をしています。
20回を超え、今年11月で3年目に突入します。
そしてシニアが生涯スポーツを継続させるような運営方法を取り入れています。
さらに最近は勉強会のみなさんと投資家バーに行き、他の投資家さんと交流の輪を拡げることも進めています。
「戦友」を探す旅路はまだまだ続きそうです。



③簿記3級——資格が欲しかった
「資格がない」という物足りなさ
私の株式投資は財務分析を積極的にしていますが、公式な資格を持っていませんでした。
- 資産を築いたのに資格がない
——ここに物足りなさを感じていました。
またスポーツ協会の会計担当として組織運営をするうえで、簿記免許を持っておいたほうが信用面で体裁がいいとも考えました。
そして「経理をわかっていない人」と見られることへの小さな怖さがあったのです。
制圧が外れた途端に出てきた知的好奇心
それでFIREして最初の1年で簿記3級をWEB教育で取得しました。
財務や経理面には興味があったので、勉強すること自体が楽しくなっていきました。
キャリアのためでも就職のためでもなく、純粋に知りたいという知的好奇心が初めて動きました。
会社員時代の窓際族では、出来るだけ会社の業務に携わらずにいました。
FIREによってその制圧が外れた途端に、好奇心が顔を出してきたのです。


第4章:勤務先消滅を知った日——静かな解放
「ついにきたか」という静かな確認
FIREから半年後、ヤフーニュースでかつての勤務先が別会社に吸収されて消滅するというニュースを見ました。
株価をチェックしていたら、ふと飛び込んできたのです。
最初の感想は怒りでも悲しみでもなく「ついにきたか」「やっぱり」というどこか他人事の感覚でした。
2001年に窓際族として四季報CD-ROMのデータを並べ替えたとき、勤務先は自己資本比率がマイナス——つまり債務超過で、3,000社の中でも数社しかない水準でした。
夕刊紙の「倒産確率の高い企業ランキング」に名前が出ていた理由が、数字として目の前に突きつけられた瞬間でした。
そしてそのときすでに「あきらめ」はついていました。
だからニュースを見て驚きませんでした。
21年間の二重生活が終わった瞬間
「ついにきたか」という感覚のすぐ後に、胸のあたりに静かな解放感が湧いてきました。
「21年間のサラリーマンと投資家の二重生活が本当に終わった」——「自分はサラリーマンではなく投資家だった」という解放感です。
そして私のほうが生き残った「幸存者」だったという実感が湧きました。
さらに自分一人で信じた道を進んで、戦っていくうちに、何とか勝ち残っていたのです。
これから出世競争を勝ち抜いた同僚が吸収先でゼロから始めるとき、自分はFIREして毎日散歩をして、地域の子供たちのためにスポーツコーチをしている。
正直、最初は「勝った」「ざまあみろ」という感覚もありました。
でもすぐに消えました。
そして、かつての勤務先で自分を潰した人々への哀れみが生まれてきました。
本当に報われたのは数字ではなく「プランが正解だった」という事実
FIREできたことより、会社の消滅を静かに確認できたことのほうが、私の中では大きかったです。
2001年のデータ分析で描いた「勤務先と真逆の企業に投資する」というプランが正解でした。
東京エレクトロン50倍・TDK19倍・村田製作所28倍——そして勤務先は消滅。
「自分のプランを信じ切ったことに対する、深い敬意の表れ」でした。
- あんなにも苦しかった21年間の自分自身を、今さらながらに擁護したい
——そういうものかもしれません。


締め:FIREして最初の1年、気づいたこと——「本当の豊かさ」の定義
FIREして最初の1年で、私が本当に手に入れたものは何だったのか。
- お金ではありませんでした。
- 体験でもありませんでした。
誰かのために時間を使える立場でした。
- 「恩返しする時間の贅沢」
——これが私の「本当の豊かさ」の定義です。
- スポーツ協会で子供たちの目に光を灯すこと
- 投資勉強会で戦友と語り合うこと
- 簿記3級という小さな挑戦
- そして勤務先消滅という静かな解放
——これらすべてが、FIREして初めて手に入れた「本物の自分」の断片でした。
そして竹田和平さんの「いぶした金色の温かいオーラ」の正体が、FIREして1年でようやく実感としてわかってきました。
それはお金の量ではなく、与えてきた時間の量から生まれるものでした。
あなたが本当に手に入れたいのは、お金ですか。体験ですか。
それとも、誰かに恩返しできる時間ですか。


FIREして最初の1年目に感じたいこと、そしてこのブログ全般のご感想などがあればお待ちしています。
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