資産が初めて1億円を超えた日【前編】
「億り人」と騒がなかった理由、1億円はただの副産物だった
こんにちは、前田嘉一です。
2014年、46歳のとき、資産が1億円を超えました。
その日、私は特別なことをしませんでした。
そして誰にも言いませんでした。
画面を見て、確認して、パソコンを閉じました。
それだけでした。
今ではSNSに「億り人になりました」と大きく宣伝する人がいます。
当時から、この投稿をうらやましいとも思いませんでした。
むしろ何も感じませんでした。
なぜ感動がなかったのか。
その理由を正直に書きます。
第1章:1億円を超えたのはいつ、どんな瞬間だったのか
アベノミクスで主力株が動き出した
2013年から続くアベノミクスで、私の主力株だった「東京エレクトロン」「TDK」が、それまで2000年の高値から10年以上低迷していたのに、急激に大きく動き始めました。
でもこのころの2銘柄は、毎日大きく上がっては翌日大きく下がる。
まるでジェットコースターでした。
1ヶ月・1年を通じて見ると大きく上がっているのですが、瞬間瞬間で見ると激しい値動きをします。
だから、最初はこの値動きに一喜一憂していました。
アベノミクスは異次元の株価対策でした。
今まで経験したことがない急激な上昇で、「すべて騙されているのでは」と疑うほどでした。
それくらい信じられなかったのです。
たまたま深夜にパソコンを開けた瞬間だった
そのうちに落ち着いてきて、資産が増えていくのを見て、やっと報われてきたという感覚が少しずつ生まれてきました。
46歳での独り立ちスタートラインだったのです。
1億円を超えた具体的な瞬間は、2014年の春ごろ、たまたま深夜に自宅のパソコンを開けて資産状況を見たときでした。
株ではなく為替がたまたまこの日が円安になって1億円を超えていました。
ただし、これはあくまで市場の変動による一時的な超過であり、翌日には1億円を下回る水準に戻りました。
でも、それが一時的なものだと予想できたからこそ、冷めた感覚がありました。
桁が1つ増えた、
でも明日になればそれも下がるだろう
——まるで砂浜の波のようでした。
波が押したり引いたりしながら、いつの間にか満潮になっていく。
そんな感じでした。
「やっと来たか」という静かな確認
「すごい」でも「嬉しい」でもなく「ああ、やっと来たか」という感覚でした。
長い間、船に乗っていて向こう岸が見えたような感じです。
そして途中で嵐にあっても、向こう岸の方向にまっすぐ進んでいることを信じていました。
2001年に読んだ「金持ち父さん貧乏父さん」に書いてあった通りに自分で地図を描き、不安ながらもそれを信じて進んできました。
向こう岸が見えた
——でもその絵は、ゴールについた絵ではなく、進んでいる途中の風景でした。
だから「嬉しい」という達成感ではなく、億万長者と名乗れるという、ほっとした気持ちでした。
それよりも、私が目指していたのは1億円ではありませんでした。
税引きの生涯賃金分である2億円が最初からの目標でした。
だから1億円に達することは、最初から通過点として設計されていた中間地点に過ぎなかったのです。



第2章:なぜ感動がなかったのか——「数字」より「プロセス」を生きていた
四季報・リーマンショック・積み上げた日々
2001年のうつ病から窓際族になり、2014年に1億円を達成するまで13年間かかりました。
最初のころは、四季報CD-ROMのデータをエクセルに落として3,000社の財務データを昇順・降順に並べ替えることを毎日続けました。
3,000社の特徴をすべて一言で言えるようになること。
このことが投資家としての土台になりました。
途中でリーマンショックという大きな下落も乗り越えました。
下落に対してプランがなく、怖くて何もできませんでした。
そこから立ち上がって、リーマンショックの2番底で「買えてしまったほうが恐怖を覚えるストップ安の手前」の指値を出して、「東京エレクトロン」「TDK」「村田製作所」を買い増ししました。
この長期保有が、生き残れた要因になりました。
ここで私が重きを置いたのは、資産が増えたことよりも「プランを作れなかった自分への反省」でした。
次からは必ずプランを作ることを最優先にしました。
「正しい判断ができたか」が一番大切だった
こうして13年間、数字が増えることへの喜びよりも「今日も正しい判断ができたか」「プロセスを守れたか」という日々の達成感のほうが大きかったのだと思います。
結果よりも過程を生きていたから、結果が来ても感動が薄かったです。
これはお金への執着が薄いということではありません。
むしろ逆です。
お金に対して真剣だったから「通過点」として設計していました。
真剣に向き合っている人は、マイルストーンに感動しません。
——次の目標がすでに見えているから。
1億円を達成した瞬間に「勝って兜の緒を締めよ」という気持ちになり、目標の2億円に向けてすぐに意識が移りました。
1億円は「副産物」に過ぎなかった
要するに、1億円達成という結果は、心の平穏と正しい判断というプロセスを正しく生きられたことへのただの副産物に過ぎませんでした。
そして副産物とわかっていたからこそ、副産物自体に感動する余地がなかったのです。
「金持ち父さん貧乏父さん」に書いてあった資産を積み上げるという強力なツールを、心の崩壊を防ぐための守りの装置として使いこなしていった結果です。
——1億円達成という数字そのものへの感動は、ただの通過点になりました。
私は1億円を達成しても喜びという感情に頼らず、「空虚」と「不安」という二つの不快感を燃料にして走り続けることにしました。
そこには「正しいプロセスを生きている」という自負だけがありました。
一人でそのことだけが、私の存在を支えていました。


まとめ:感動できなかった本当の理由は、まだわからなかった
1億円は副産物でした。
プロセスを生きていたから感動しませんでした。
最初から通過点として設計していたから。
——これが当時の私の答えでした。
でも後になってわかったことがあります。
感動できない自分は冷たい人間なのかと思ったこともありました。
でも後になってわかりました。
感動できなかったのは冷たさではなく、14年間の孤独が感情の形を変えてしまったからだったのです。
次の記事では、以下をお伝えします。
- 億り人と騒ぐ人たちとの本質的な違い
- 本当に感動した瞬間がどこにあったのか
→【後編はこちら】



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