月収17万円から始めた私が、最初の1年でやったこと【後編】
防衛資金500万円という守り神と、480万円の失敗の授業料
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、
- 初任給17万円のうち10万円をその日に消した話
- 天引きという仕組みが生まれた理由
をお伝えしました。
この記事では、
- 防衛資金500万円という「守り神」
- 自社株で480万円を失った失敗の授業料
をお伝えします。

第3章:防衛資金500万円という「命綱」——最初の目標はここだった
東大阪で見た「夜逃げ」の記憶
防衛資金を作ることの原点は、幼少期の東大阪の街にあります。
夜逃げをした後の近所の家族工場
——玄関に借金の催促状がところ狭しと貼られている風景。
そして昨日まで一緒に遊んでいた友達が突然いなくなるのです。
さらに学校の教室の机の中に荷物がそのまま残されたまま、いなくなります。
その後にいろいろな噂が流れてきます。
そして子供たちは配慮もなく、机の上に校庭の花を置いたりされました。
父親の失敗を家族全体が、子供たちにまで背負わされる
——これを思うとショックでした。
- 絶対に立ち直れないまでの失敗はできない
- 家族全員を巻き込むことは絶対にしたくない
この思いが幼少期から刻み込まれていました。
「3年生き延びられる額」を守り神にした
だから、いざというときに復活できる額を残すことを最重要視しました。
そして最初は金額を決めず、しばらく経ってから「当時の生活費3年分」として500万円と決めました。
- 3年あれば収入がゼロでもやり直しができる額
- 生き延びられる額
3年という期間に明確な根拠はありませんが、「石の上にも3年」くらいあれば大丈夫だろうと思いました。
そして、これは何があっても手をつけない「守り神」。
もしこれに手をつけてしまうと責任がとれなくなってしまう
——絶対に手をつけないと誓いました。
この額があるから、恐怖を和らげられる。
- 株式投資だけでなく
- 勤務先の破綻
- 病気やけが
- ローン破綻
すべてのリスクへの守り神です。
お金を増やす作業の前に、恐怖を消す作業を最優先にしました。
「恐怖をなくす」のではなく「恐怖と共存する」
防衛資金500万円を絶対に使わないというルールは、1991年から今も35年間変わっていません。
そしてリーマンショックのとき・コロナショックのときも、このルールが機能し続けました。
さらに私はリーマンショックやコロナショックという歴史的な大暴落でも、恐怖を完全に消し去ることはできませんでした。
恐怖を克服したと豪語する投資家たちが、暴落時に消えていく姿も見てきました。
だから、恐怖を「なくす」のではなく「道具にする」ことを選びました。
恐怖は常に存在するという前提に立って、
- 防衛資金500万円という「守り神」というルールで和らげること
- 恐怖をパニックではなく、冷静な生存戦略へと導くこと。
- 恐怖を克服したのではなく、恐怖を守り神という道具を持つことで
管理し続けていきました。
——それが正直なところです。
「私は弱い」という人間の脆弱さを無理に変えようとすること自体が、最大のリスクだと思い続けています。
普通は「恐怖に打ち克て、強くなれ」と言います。
私は「恐怖と共存できる仕組み」を作りました。


第4章:自社株という「失敗の授業料」——最初の1年で学んだこと
「男気」だけで600万円を買い続けた
私は初任給から3万円、その後ボーナスごとに10万円の枠で自社株を買い続けました。
その後、枠はどんどん増えていき、その都度枠いっぱいに買っていきました。
会社は高速道路や橋梁などのインフラが完成するほど業績が悪くなる会社でした。
そして1991年から国政の不景気対策でインフラ工事が増えていき、会社は業績不振になっていきました。
さらに万年赤字で夕刊紙の倒産危険度ランキングに会社名が上がってきました。
それで株価は低迷し続け、私の持ち株がプラスになることはありませんでした。
それでも6年間、ただ「男気」だけで自社株をフル枠いっぱいで買い続けました。
総額は600万円くらいになっていました。
「自社株が上がれば役職も給料も上がる。自分の根性で成績を上げれば、すべてが好転する」
——そんな単純な思い込みがありました。
「会社が傾けば給料も株も失う」リスクを知らなかった
20代は根性だけの猛烈社員でした。
そして当時普及しだした携帯電話を自費で買い、24時間体制でどぶ板営業をしました。
実際に成績は相当上がりました。
でも株価は上がらず、役職も給料も上がらず、32歳でうつ病になってしまいました。
間違った方向に強すぎたのです。
会社は年功序列や派閥政治で出世が決まる世界でした。
一匹狼で数字だけ上げても、この会社のルールとは違っていました。
そして会社が傾けば給料も株も同時に失う「二重リスク」を当時はまったく理解していませんでした。
むしろ、根性と男気だけという個人の力で株価を上げてみせるという傲慢さが、うつ病を助長していました。
480万円の損失と、10年後の「逆転」
結局、600万円の自社株投資が480万円のマイナスで損切りになりました。
そして今の視点から振り返ると、この失敗には以下の3つの問題がありました。
- ビジネス構造・財務・将来性の分析を一切しなかった
- 二重リスクを理解していなかった
- 感情(男気・根性)で判断していた
でもこの失敗が、初任給から11年後(2002年〜)の「勤務先の逆を買う」という投資法の出発点になりました。
失敗が授業料になったのです。
そして、感情で動く投資家から、構造や数字を調べ抜いて動く投資家へと生まれ変わりました。
さらに「男気」や「根性」という曖昧な要素を排除し、数値でしか判断しないという基準が生まれました。
普通は「信じた会社を応援して買え」と言います。
私は「勤務先の財務と真逆の会社を数字で選ぶ」方法を選びました。
そしてこの変化こそが、窓際族という空白の時間を「1万時間の勉強」に変えていく原動力になりました。
つまり月収17万円という出発点から始まった失敗が、すべての転換点だったのです。


締め:月収17万円が「出発点」になった理由
月収17万円の初任給という現実を前にして、私がやったことは以下の3つでした。
- 天引きで10万円を消した
- 防衛資金500万円を命綱にした
- 自社株で480万円を失う失敗の授業料を払った
この3つが、35年後の4億円の本当の出発点になりました。
- 弱さから生まれた仕組み
- 恐怖から生まれた守り神
- 失敗から生まれた投資法
——いずれも「弱さ」が出発点でした。もしも、
- 強かったら天引きに頼らなかった。
- 怖くなかったら防衛資金はいらなかった。
- 男気で成功していたら、数字を調べなかった。
——でも、私は強くはありませんでした。
- 弱かったから、35年間続いた。
- 弱かったから、4億円になった。
あなたの最初の1年、何をやりましたか。
まだ始めていないなら、今日が最初の1年の始まりです。



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