21年間、隠れ資産家だった【前編】
会社では誰も知らなかった、なぜ言えなかったのか
こんにちは、前田嘉一です。
2022年秋、私がFIREして会社を去る日、送別会は一切ありませんでした。
そしてロッカーに社員証を置いて、ひっそりと退職しました。
最後に会社を出るとき、会社の誰も知らない事実が一つありました。
その空気のような存在として扱われていた人間が、実は2億円の資産を持っていた
——ということを。
窓際族として会社の隅にいた21年間、投資については一度も話したことがありませんでした。
第1章:なぜ言えなかったのか——「すべてが変わってしまう」という恐怖
会社は監視と噂が支配する場所だった
なぜ言わなかったのか。
勤務先は「派閥を作り、仲間同士がつるんで牽制し合う」というルールで動いていました。
だから社員同士は常に監視の対象でした。
そして新しい何かがあるとすぐに噂になり社内中に広まる。
さらに会社が儲かっておらず暇なことも重なり、この監視体制がますます助長されていました。
またそれを利用して、新築・新車などをローンで買って見栄を張る社員も出てくる。
根掘り葉掘り聞かれるのも嫌でした。
私は20代に猛烈社員として数字を相当上げても、この会社のルールによって出世も給与も上がらず、うつ病になってしまいました。
だから仲間同士がつるんで牽制し合う渦中には入らず、窓際族で距離を置くことにしていました。
もう、うつ病になるのは嫌でもあったからです。
「株をやっている」とわかった瞬間、すべてが変わる
そういう環境で、いきなり「株式投資をやっている、資産は1億円以上ある」とわかると、次の日には情報網によって拡散されてしまいます。
同じ社内にも株をやっている人はいました。
いつも大きな声で話していましたが、ギャンブルのような投資で損ばかりしており、その損失額を自慢していました。
そして私はその投資法を否定していましたが何も言いませんでした。
株の話をしてしまうと、すべてが変わってしまう
——その恐怖がありました。
- 根掘り葉掘り聞かれる恐怖
- うつ病になりかけた監視の視線が、さらに強くなる恐怖
- 自分だけがコントロールできる領域が、他人に侵食される恐怖
これらが重なって、21年間、誰にも言えませんでした。
アベノミクスで資産が急増した日も、一人だった
2013年から2014年にかけて、アベノミクスによって私の持ち株——東京エレクトロンを始めとするすべてが上がりました。
あれよあれよという間でした。
このまま何もしなくても1億円を目指せると思いました。
でも、その喜びを誰かと共有できませんでした。
一人でパソコンの画面を見て、静かに確認するだけ。
会社の誰かに話したいという気持ちはありましたか、と今なら聞かれます。
ありませんでした。
そして話した瞬間に、あの監視の視線が株の世界にまで入ってくる
——それが嫌だったのです。
ちょうどこのころ、子供が入ったスポーツチームのきっかけで始めたスポーツコーチも3年目になり、居場所が充実してきていました。
そして「前田くんのお父さん」から「前田コーチ」と呼んでもらえるようになりました。
さらに2014年に協会公認コーチの資格も取りました。
- 会社では空気のような存在。
- でも地域では必要とされている。
この対比が、隠れ資産家として生き続ける力になっていきました。


第2章:資産が精神的な支柱になった——窓際族を生き抜けた本当の理由
2009年、勤務先が上場廃止になった
2009年、勤務先が整理ポストに入り上場廃止になりました。
その後、ある会社の子会社として再建を図りましたが、2011年には複数の子会社が統合されて新しい会社としてスタートすることになりました。
株式市場からも姿が消えました。
それでも私は窓際族として会社の片隅に残り続けました。
上場廃止から100%子会社移行後の最初の5年ほど、社内は動揺していました。
すべてが親会社の意向で決まり、本当の情報は末端社員まで届きません。
そして情報はすべて噂話で、どの派閥に属するかで生き残りが決まると考えた社員たちが、必死に動き回っていました。
私はその動きに一切関わらないことを決めていました。
持ち株は「本当の勝者」を教えてくれた
社内の派閥政治を横目に、私は窓際族の会社の片隅で作業しながら、合間に株価を確認する毎日を過ごしていました。
そして誰も私に声をかけてくれませんでした。
それでも構いませんでした。
心は株式市場にあったからです。
2009年〜2012年ごろまでは、勤務先の業績低迷と同様に、東京エレクトロンの「高価な製造装置」もTDK・村田製作所などの「ハイテク部品」も、景気低迷の影響を受けて株価は伸びませんでした。
でも、当時爆発的に普及していた「スマートフォン」の需要を見ていると、勤務先の新会社よりもこれらのほうが将来性があると思いました。
四季報やヤフーファイナンスの将来予測も、東京エレクトロン・TDK・村田製作所といった持ち株たちのほうが圧倒的に正しかったです。
そして実際、2013年のアベノミクスから現在まで、私の持ち株は長期で見れば伸び続けています。
勤務先は私がFIREした半年後に他社に吸収されて消滅しました。
「隠れ資産家」という立場が生存戦略だった
会社では評価されない私が、「実は資産家だ」という優越感。
それは単なる自己満足ではなく、生存戦略でした。
そして有利な派閥に取り込んでもらおうと動き回る末端社員を横目に、東京エレクトロンを始めとする自分の持ち株が時価1億円を超えていく
——この優越感がなければ、窓際族として21年間の空気のような扱いに耐えられなかった
と思います。
「会社での評価」と「資産の現実」の落差が最大になればなるほど、この優越感が強くなっていきました。
弱さを補う仕組みとして、隠れ資産家という立場が機能していました。
誰も知らないから守られていました。
知られてしまえば、この静かな世界が壊れてしまう
——だから言えなかったのです。


まとめ:言えなかったから、守られた
21年間、誰も知らなかった。
そして言えなかったのは弱さからでした。
- 監視される恐怖
- 干渉される恐怖
- 自分だけの世界が壊される恐怖
その弱さが、隠れ資産家という静かな生存戦略を21年間守り続けさせました。
次の記事では、FIREを決断した日に妻に打ち明けた話と、誰にも言えなかった孤独の本当の意味をお伝えします。→【こちら】



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