府中市の東京エレクトロンを初めて訪問した日、1997年【後編】
2004年、指が震えながら注文を出した日と、50倍になっても売れない本当の理由
こんにちは、前田嘉一です。
前編では
- 2026年の株主総会での「尊厳の回復」と
- 1997年に夜の高速を走った理由を
お伝えしました。
中編では
- 府中市のビルで感じた「光と音」の衝撃と
- 7年間その記憶が消えなかった理由を
お伝えしました。
この記事では、
- 2004年に指が震えながら注文を出した日と
- 50倍になっても東京エレクトロンを売れない本当の理由を
お伝えします。


第4章:2004年3月、指が震えながら注文を出した日
ビクビクしながらも、注文を出した理由
2004年3月、東京エレクトロンを1株2,330円の指値で300株注文しました。
約定できれば約70万円の大金です。
証券会社に電話して、指が震えながら、声が震えながら指値を出しました。
このころ、証券会社の営業レディに東京エレクトロンへの注目を話していました。
単価が高くて手数料が高く取れるので、すすめやすい銘柄でもありました。
でも彼女は「成長性があります」という勢いだけで、具体的な業務も半導体が何者かも知りませんでした。
私は窓際族で時間がたっぷりありましたから、彼女が電話してきたときに半導体について丁寧に説明したこともあります。
本当に株が欲しいときは、こちらから電話しなければなりません。
当時の東京エレクトロンのチャートは下がり続けていました。
私が決めた購入目標価格よりは下がっていましたが、
- これ以上下がるのではないか
- 自分だけマイナス情報を知らないのではないか
という懸念が湧いて、ビクビクしていました。
注文後も何回チャートを見たかわかりません。
「買ってしまった」という後悔が来る株
東京エレクトロンの株は、いつも「買ってしまった」という後悔から来る株です。
買った瞬間に「嬉しかった」というものはありません。
しばらくは「この価格でよかったのか」という後悔が来る株です。
でも、ビクビクしながらも注文を出してしまう。
それは1997年に府中市の東京エレクトロンの本社ビルに初めて訪問したときに受けた衝撃があるから。
- チノパンとポロシャツの担当者が一から丁寧に説明してくれたから
- それを後で自分なりに噛み砕いて分析したから
- 誰よりも半導体のことがわかるようになったから
だから、指が震えながらでも注文を出せた。
そして、7年間の記憶があったからです。
「数字が良いから買う」のではなく「あの会社だから買う」という感情的な確信が、恐怖を上回った瞬間でした。
感情的な執着という弱さが、恐怖で指が震える弱さを超えた瞬間です。
770円での買い増し——100倍以上になった取引
その後、2004年から2008年にかけて集中して買い増ししていきました。
特に最後の2008年12月には770円で300株購入しました。
この取引分だけで100倍以上になっています。
23万円が2,300万円になりました。
買って後悔した株が、約14年後に私をFIREという世界へ連れていってくれました。
締め:50倍になっても売れない、本当の理由
数字の成功と、精神的な孤独
2026年7月1日、東京エレクトロンは上場来高値81,260円をつけました。
私が最初に買った2004年の2,330円から35倍近く、買い増しを重ねて平均取得価格を下げ、50倍以上になっています。
でも今も売れません。
東京エレクトロンの株を50倍にしたという数字としての成功は、私を窓際族という社会的な弱者から経済的強者に変えてくれました。
でも数字だけの成功では、精神的な孤独や承認欲求までは満たせませんでした。
私が窓際族21年間苦しんだのは、会社での「空気のような扱い」でした。
人間として見られていないという状態でした。
会社では投資のことは一切話していませんでしたから、なおさらでした。
2026年の株主総会で、すべての精算が済んだ
だから2026年の株主総会での体験が、私にとって特別な意味を持ちました。
日本第2位の時価総額まで成長した東京エレクトロンの社長が目を見て応対してくれ、役員の一部がわざわざ立ち上がって御礼を言ってくれた。
単なる礼儀ではなく「あなたという人間を、一人の人格として認めています」というメッセージとして受け取りました。
それは窓際族で21年間、誰にも目を見てもらえなかった私にとって、株主として超多額の開発費を投じて最先端を突き進んでいくことに、一人で応援と理解をしていた憧れの社長から「対等な人間」として扱われた瞬間でした。
ここでようやく
- 「人間としての尊厳」が回復した
- 窓際族21年間の雪辱を精算できた
- サラリーマン人生の決着がついた
そして投資の成功は、本当に憧れて信じてきた東京エレクトロンと対等な関係を成立させるための「チケット」でした。
そのチケットを手に入れた瞬間に、私が本当に欲しかった「人間としての承認」も手に入ったという構造です。
憧れを、金銭取引で汚したくない
なぜ50倍になっても売れないのか。
- リターンへの執着ではありません
- もっと増やしていこうという野心でもない
1997年の府中市で感じた「あの世界に行きたい」という強烈な憧れを、売ることで手放したくないからだと、今は思っています。
東京エレクトロンの株を売らないことで、過去の自分自身の純粋な情熱と、それが正しかったという確信を維持し続けています。
おそらく、東京エレクトロンへの憧れという理想を、現実の金銭取引で汚したくないという純粋性への執着があります。
窓際族時代の東京エレクトロンへの投資は、今の自分を否定する環境からの脱出と、理想の未来への投資を同時に果たす精神的な避難所でした。
その避難所を、売ることで手放す気にはなれません。
弱かったから、ここまで来れた
私は1997年に府中市の東京エレクトロンを訪問し、猛烈社員から、うつ病になり、21年間窓際族で過ごしました。
でも、あの日に受けた衝撃が7年間風化していなかった。
- 弱かったから、記憶が消えなかった
- 弱かったから、夜の高速を走って名刺交換に行った
- 弱かったから、7年間覚え続けた
- 弱かったから、指が震えながらも注文を出した
- 弱かったから、恐怖に負けずに売らなかった
その弱さが積み重なって、株主総会で社長に目を見てもらえた日につながりました。
これは投資の話をしているようで、前田嘉一という一人の人間の話でもあります。
あなたにも、7年間消えなかった記憶はありますか。
それが、あなたの一番大切な選択の根拠かもしれません。
府中市の東京エレクトロンについて気づいたこと、そしてこのブログ全般のご感想などがあればお待ちしています。
みんかぶマガジンにも記事を書いています。 →こちら




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