東大阪の路地裏で誓ったこと【後編】
「街の空気」を吸いながら、「工場の光」だけを見て生きてきた
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、東大阪の路地裏で見た「お金の威力と魔力」、階層のピラミッドへの気づき、そして1982年にYASHICAと稲盛さんの話から「お金持ちになりたい」と誓った日をお伝えしました。
この記事では、友達の家族工場で見た「光と音」の衝撃、そして今の株式投資との意外なつながりをお伝えします。

第4章:東大阪が教えてくれたこと——ものづくりの街と株式投資の意外なつながり
家族工場の商売の仕組み
東大阪の家族工場の収入は、ネジ1個×〇円の世界でした。
収入を上げるには単価を上げるか個数を増やすしかない。
単価アップは
- 腕のいい職人が精密に削るか
- 最新鋭の機械を入れるか
- 個数は多く働くか
- さらに下請けに流すか
——そういう商売でした。
- いつも優秀な部品を作る工場は繁栄
- そして旋盤機などの最新鋭の製造装置を購入
- そうやってますます繁栄していく
このビジネス構造は子供のころから理解していました。
機械の借金が返せない工場と、夜逃げした家族
改良を重ねて、機械にお金を入れて自社商品を差別化していく。
友達の家族工場で最新鋭の機械を入れたときのお披露目会が好きでした。
でも反面、機械の借金が返せないところや、注文が取れずに収入が細り、夜逃げした家族もありました。
少しずつですが、家族工場が淘汰されていく。
私の家はサラリーマン家庭でしたから、この淘汰の現象からは少し離れた感じでしたが、夜逃げするまでほったらかしにして対策を打たないから仕方がないと、少し冷たい目で見ていたのを記憶しています。
今思えば、リスク管理の重要性を子供なりに理解した瞬間だったのかもしれません。
そして「対策を打たないこと」がどれだけ致命的かを知り、「失敗する側」への共感を抑え、「成功する側(最新鋭の機械を持つ側)」への信頼を深めていったと思います。
「光と音」の衝撃——あの一瞬が忘れられない
でも、最新鋭の機械のお披露目会で見たあの光景は、今も忘れられません。
あっという間にたくさんのネジが出来ていく。
ピカピカで、少しスリムになって、ものすごく能力が高い最新鋭の機械。
友達のお父さんの自慢げな姿。
まだ収支や減価償却などの細かいことはわかりませんでしたが、見た目だけでもこの会社は成長すると思いました。
- 光のスピードで処理
- 完成品が出来た衝撃の音
——この「光と音」が、私をときめかせたのです。
このとき私は
- 世界が加速度的に変化し
- それに乗り遅れた者は消える
という冷徹な法則を、言葉ではなく「光と音」で体感しました。
それが「忘れられない衝撃」になっています。
東京エレクトロン・TDK・村田製作所との原点
今、私の主力株で19倍~50倍になった「東京エレクトロン」「TDK」「村田製作所」という銘柄があります。
この3社で2億円近くになっています。
そして私がこういう電子部品・製造装置メーカーが好きなのは、東大阪の工場地帯で育ち、ものづくりの会社が好きだからです。
私の投資家としての「好み」の原点は幼少期の環境にありました。
現場に行くと、その会社の強さや弱さが体感でわかる。
昨夏に視察に行った熊本のシリコンアイランドは、水源の豊富さと新鋭工場が立ち並んでいく姿に感動しました。
私が工場地帯で成長を感じることができるのは、東大阪の路地裏で育ったからかもしれません。
私は幼少期の東大阪で
- 「技術の進化への希望」
- 「淘汰の恐怖」
を同時に肌で感じました。
その経験から投資哲学が生まれました。
数字が良いから買うのではなく、その現場が子供のころに見た「光と音」の進化を続けているかを確認してから買おうとすること
——それが私の「自分のものさし」の原点です。



第5章:あの街の少年が、今の自分になるまで
1982年から2026年——43年間の記録
- 1982年、中学生で「お金持ちになりたい」と誓い
- 1991年、サラリーマンになり
- 2022年、2億円でFIRE(早期退職)して
- 2026年、4億円になりました。
- 誓ってから43年目
- 就職してから35年目です。
もう東大阪には1990年から住んでいません。
そして引っ越ししたいとも思いません。
なぜなら現在住んでいる兵庫県の街のほうが、地域との関わりが強くなっているのでこちらのほうが好きです。
中学生のころの「お金持ち」は、高級車・豪邸・派手な生活だった
中学生のころに描いていたお金持ちのイメージは、
- 高級車
- 豪邸
- 派手な生活
という見た目だけのものでした。
でも今の自分は、
- 毎朝1万歩歩いて
- ツバメやカルガモの親子を探し
- 梅やビワの実を数える
「散歩」が最高の贅沢だと思っています。
FIREして一番やりたかったことが、「太陽の光を浴びること」だとわかったからです。
そして休日は、最高の居場所である
- 地域の子供たちにスポーツを教えて
- 地元の生涯スポーツの普及振興
「ボランティア活動」で恩返しをしています。
「お金持ちになった」と感じているか
今の自分は「お金持ちになった」と感じているかというと、そうでもありません。
なぜなら、中学生のころに想像していたお金持ちと、今の自分はまったく違うからです。
高級車・豪邸・派手な生活はやろうと思えばできる。
でも今の自分には興味がありません。
それでも、コンピュータの画面には4億円の数字が映し出されます。
これだけ見ると「お金持ちになりたい」という誓いは果たされました。
しかし「お金持ちの定義」が、この長い間で変わりました。
今は
- 太陽の光を浴びて
- 地域の変化に興味を持ち
- 地域に関わっていき貢献していくこと
に変わりました。
そしてこの変化こそが、43年間の本当の記録だと思います。



締め:「街の空気」を吸いながら、「工場の光」だけを見て生きてきた
街の雰囲気は、正直あまり好きではなかった
正直に言えば、幼少期の東大阪の街の雰囲気はあまり好きではありませんでした。
- 大人が子供の前で酔っぱらって愚痴を言い合うドロドロとしたところ
- 常に対策を打たないから失敗してしまうところ
憎めないというより、呆れるという感覚のほうが強かった。
でも「光と音」だけは、今も忘れられない
でも幼少期に、友達の家の工場で見たあの光景
——ピカピカで少しスリムになった最新鋭の機械が、一瞬で処理してしまうスピード。
- 光のスピードで処理
- 完成品が出来た衝撃の音
この「光と音」が、私をときめかせました。
そこから今でも、最新鋭の機械が入った工場を見るのが好きです。
街は「過去の重荷」、工場は「未来の武器」
私にとっての愛着は、東大阪という場所全体への愛着ではなく、その場所で見つけた技術の進化という唯一の希望の象徴への愛着でした。
つまり、街(住んでいる人間、その感情、策を打たない失敗)は脱却したい「過去の重荷」でした。
そして工場(最新鋭の機械・技術、成功者)は掴み取りたい「未来の武器」なんです。
私は「街の空気」を吸いながら、「工場の光」だけを見て生きてきました。
窓際族21年間も、同じ生き方だった
そしてこの生き方は、窓際族21年間のときも同じでした。
倒産危険ランキング上位の「勤務先の空気」を吸いながら、東京エレクトロン・TDK・村田製作所という「株式の光」だけを見て生きていくことにつながっていったのです。
あのときの東大阪の工場地帯にいた路地裏の少年が、今の自分になりました。
「お金持ちになりたい」という誓いは、形を変えて今も続いています。
あなたが「こうなりたい」と最初に思ったのは、いつ、どこで、何を見たときですか。


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