出世しなかった私が、出世した同僚より豊かになれた理由【後編】
「豊かさ」の定義を変えた瞬間と、サラリーマン投資家という生き方
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、20代に「間違った方向に強すぎた」猛烈社員がうつ病で倒れ、窓際族の21年間で時間・反面教師・防衛資金という3つを手に入れた話をお伝えしました。
この記事では、退職日の最後の朝と、翌日カーテンを自分で開けた瞬間——「豊かさの定義」が変わった日の話をお伝えします。
「豊かさ」の定義を変えた瞬間
FIREを決断した理由——出世ではなく居場所を選んだ
私は2022年の秋に53歳でFIREしました。
決断の理由は、週末に地元でスポーツコーチとして子供たちに指導できなくなるからです。
この週末の、給料も役職も肩書きもない場所が、私の大切な居場所でした。
子供たちが私の目を見て、真剣に言葉を聞いてくれる。
会社では目を見てくれる人など誰もいなかった。
ここでは私を必要としてくれているのです。
会社は窓際族の私にも年功序列で昇格の辞令を出しました。
子会社社長含みで、65歳まで勤めればサラリーマン人生の辻褄が合う——そういう話でした。
でもネックは週末が休みでないことでした。
辞令を受け入れると、スポーツコーチができなくなります。
出世をとるか、大切な居場所をとるか。
うつ病になる一歩手前くらいまで悩みました。
上司に相談しても「辞令が嫌なら辞めるしかない」と言われました。
妻も「辞めても構わない」と言ってくれました。
そして会社を辞めてFIREすることに決めました。
退職日、ひっそりとロッカーに社員証を置いて帰った
きちんと引き継ぎをして、着任先には着任しないという退職でした。
退職祝いの送別会もありませんでした。
ロッカーに社員証やPC、携帯を残して、ひっそりと帰る。
これが32年間働いた会社の最終日でした。
送別会もなく、誰にも気づかれずに去った32年間。
でも不思議と悔しくなかった。
会社には誰も知らない2億円があったからかもしれない。
最後の勝者は私だと、誰にも言わずに思っていた。
少しだけ残念という気持ちもありましたが、これが望んでいた退職日の終わり方だったかもしれません。
サラリーマンとしては「敗者」の終わり方でした。
でも負けでよかったのです。
出世という社会的な勝ちに縛られるという重荷を捨てられました。
翌日、カーテンを自分で開けた
翌日、ただの人、ただの専業投資家になりました。
会社に行くのと同じ時間に起きて、自分でカーテンを開けました。
サラリーマン時代は自分で開けたことなんてありません。
このときに浴びた太陽の光が忘れられません。
綺麗で眩しくて自由なのです。
思わず散歩に出かけました。
夕方も散歩しました。
これを飽きずに今も4年間続けています。
自由に好きな時に太陽の光を浴びられるのが「最高の贅沢」だと気づいたのです。
「これが勝ちなのか、それとも単に逃げたのか」
FIRE直後は「これでいいのか」という不安もありました。
「これが勝ちなのか、それとも単に逃げたのか」という葛藤がありました。
今までサラリーマンという給料・役職・肩書きが判断基準になる場所にいました。
住宅、給料、子供への教育にどれだけかけるかで見栄を張る場所にいました。
そこでの勝ち負けは理解できました。
でも、すべて自分の時間で、自分の意志で好きなことができ、自分が一番大切にしている地域コミュニティという居場所があり、資産も2億あり、53歳からだと時間も多くある
——これがまわりに認められた生き方なのかどうかわからないところがありました。
でもあるとき「豊かさの定義は人それぞれ」だと思うことにしました。
FIRE直後の心の中での「豊かさ」の定義は、会社での給料・役職・肩書きから、自分自身の時間・自律・対等な関係のある場所へと変わっていく段階だったのです。
太陽の光は、会社という巨大な重力から這い上がって手に入れたもの
本当に手に入れた豊かさの定義のひとつ
——ただの朝の太陽を浴びるというものは、いきなり得られた答えではありません。
会社という巨大な重力から、自分の足で這い上がるようにして手に入れたものです。
会社のレールでなく、自分で築き上げたもの。
泥臭くてまさに自分の血が通った自由でした。
私の定義は「誰にも奪われない時間と自律」。
出世した同僚の豊かさの定義と、私の豊かさの定義が根本的に違う。
それはどちらが正しいというのではなく、「自分の豊かさの定義を持っているかどうか」が分かれ目でした。



サラリーマン投資家という生き方——今だから言えること
「専業投資家になりたかった」ことは一度もなかった
1991年の初任給から自社株を購入枠いっぱい買い続けることでスタートしたサラリーマン投資家の道。
FIREする2022年まで32年間続きました。
実は一度も「専業投資家になりたかった」という気持ちはありませんでした。
身内やまわりに投資家も資産家も実業家もおらず、すべて図書館の本とネット・SNSの情報で独学でやっていたので、自分の投資法に自信もなく、いつ失敗するかわからない状態でした。
給料も薄給で妻と子供3人がおり、節約に節約を重ねてようやく入金力をつけて、狙った株を安いときに買っていく
——そういうサラリーマン投資家でした。
常に「もし全額失ったらどうなるか」という最悪のシナリオを考えていました。
それが専業から遠ざけたのは事実です。
サラリーマン投資家の3つの強み
サラリーマン投資家には、専業投資家にはない3つの強みがありました。
①給料という固定収入が防衛資金になる
株が下がっても生活費は給料から出る。
投資の損失で生活が揺らぐ心配がない。この安心感が「急いで儲けなくていい」という心理的余裕を生みました。
②株の損失を給料で補填できるという心理的安全
480万円の自社株損失も、中国関連株での損失も、給料がある限り「やり直せる」という前提がありました。
この安全網があったから、失敗を経験として積み上げられました。
③感情を抑制しやすい「待てる力」が身につく
サラリーマンは「17時まで待つ」「次の給料日まで待つ」という待機に慣れています。
これが投資の「底値まで待つ」「暴落が終わるまで待つ」という忍耐力と同じ構造でした。
「出世しないサラリーマン」は、株式投資家として最も恵まれた立場だったと思います。
「会社員であること」自体に精神的な安定と、社会との接点としての価値がありました。


締め:あなたも「出世しない選択」があっていい
出世しなかったのは失敗ではなかった。
2001年にうつ病になって窓際族に進み、出世競争という他人の評価軸から離れたとき、初めて株式投資で資産を積み上げていくという自分の評価軸が見えた。
療養中に読んだ「金持ち父さん貧乏父さん」を「なんかできそう」と信じただけでした。
それを21年間窓際族で継続させ、FIREして今は4億円になった——それだけです。
でも私は、出世しなかったから豊かになれたのではなく、出世しないことを選ばざるを得なかった状況で、株式投資という自分自身を救う方法を見つけただけなのです。
私は戦略家ではなく、「生き延びた人(幸存者)」なのです。
出世のラットレースを勝ち抜いていった同僚たちは、会社が消滅して地位はゼロになり、住宅ローンや車のローンが残ったけれど、それが彼らなりの豊かさだったかもしれません。
出世を目指すことを否定しません。
でも私みたいに自分で決めた出世以外の豊かさの軸があっていいと思います。
あなたの「豊かさ」の定義は何ですか。
それは誰かに決められたものですか、それとも自分で決めたものですか。
出世した同僚より豊かになれたことを教えてください。そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。
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