出世しなかった私が、出世した同僚より豊かになれた理由【前編】
間違った方向に強すぎた20代と、窓際族で得た3つのもの
こんにちは、前田嘉一です。
私は2022年の秋に53歳で早期退職してFIREしました。
FIREしたときは全く知りませんでしたが、勤務先はその半年後に他社に吸収されて消滅しました。
退職後は会社とも同僚たちとも全くコンタクトを取っていません。
お互い興味もありません。
消滅の事実はたまたまホームページで知っただけです。
でも、たまに出世のラットレースを何としても勝ち抜いていった同僚たちはどうなったのかと考えることがあります。
勤務先は年功序列の会社。
仕事の実績より上司とつるんで派閥を作り人間関係を築くほうが重要でした。
でもそれが吸収でシャッフルされて、吸収先の会社でゼロから人間関係を築き直すことになりました。
井の中の蛙だった彼らが大海に出され、今どこにいるのかと考えることがあります。
一方の私は、そういう日も同じローテーションを行います。
散歩をして、ヒートマップを確認して、夜は先物を見て眠る。
あのとき出世レースに負けた私が、なぜこうなったのか。
出世レースに負けた理由——「間違った方向に強すぎた」
完璧なプランが崩れた
私も1991年から10年間は、出世のラットレースを精一杯走っていました。
出世することがお金持ちになる最短ルートだと信じていました。
赤字会社の自社株を安いうちに枠いっぱい買い、自分の力で業績を上げて、株価も地位も給料も上げる
——まさに完璧なプランでした。
実際、20代は猛烈社員として一時は個人予算が会社売上の6分の1になりました。
当時普及し始めた携帯電話を自費購入して、朝から深夜までどぶ板営業。断トツすぎる成績でした。
それでも年功序列の壁に阻まれました。
特別ボーナス・社長表彰を含め、特別扱いはできないと。
それを人事部に直訴したのが裏目でした。
人事部と上司、同僚がつながっていたのです。
断トツの成績へのやっかみも加わり、仲間外れにされていきました。
うつ病になった、そして窓際族へ
意地になって見返してやろうとさらに猛烈社員になりました。
孤軍奮闘でさらに数字を上げていきました。
しかし個人ノルマをさらに上げられ、とうとう「うつ病」になってしまいました。
32歳のときです。
自ら窓際族を希望して異動しました。
出世レースから離脱しました。
「出世しなかった」のではなく「出世できなくなった」のです。
「敗北」ではなく「自分の評価軸への転換」だった
会社でいくら成績が抜群でも、会社のルールや他人の評価軸で生きなければ、一生を狂わす病気にかかってしまう。
でも株式投資ならば、自分の評価軸、正味の数字で生きられる。
32歳の当時の私には、会社の評価軸が理解できませんでした。
57歳になった今も根本的には理解できていません。
つまり「間違った方向に強すぎた」だけなのです。
出世競争から離脱したことは「敗北」ではありませんでした。
32歳から窓際に移り、屈辱を受けながらもサラリーマン投資家として資産を積み上げていく
——それは自分の評価軸への転換でした。
ただ当時信じられたのは、病気療養中に読んだ「金持ち父さん貧乏父さん」という一冊の本だけ。
「なんかできそう」と思っただけでした。
自分の能力が、会社の環境・組織の弱さ・理不尽さと衝突した結果でした。
でもそれで心身ともに破壊してしまった。
それでやっと「間違った方向に強すぎた」に気づけたのです。
組織は変わらない
——だから窓際族という静かな退職を選び、むしろ逆に利用することにしました。



窓際族だったから得られた3つのもの
2001年に窓際族に異動し、2022年にFIREするまで窓際族一筋でした。
でもこの21年間に、3つのものを積み上げることができました。
①時間——1万時間の勉強
病気明けだったので、仕事は社内LAN工事で業者と各部署をつなぐ伝書鳩のような使い走り程度でした。
自分専用のパソコンがあり、時間はたっぷりありました。
だからいつもエクセルを開いて、四季報CD-ROMから会社情報や財務データを3,000社分読み込ませていました。
それをソートで昇降順に並べ替えていく作業を毎日1時間以上続けました。
データを暗記して「○○社は○○が特徴」と全社の特徴を言えるようになりました。
これが私の株式投資家としての基礎土台になりました。
これだけはどんな手を使っても出世していった同僚には絶対にできなかったことです。
②勤務先という反面教師——最悪のお手本が最高の羅針盤になった
3,000社を並べ替えていたとき、私が重視するROE(自己資本利益率)という儲けの指標で、勤務先は「N/A」でした。
ゼロどころか、何年にもわたって判定不能。
全く儲かっていないのです。
夕刊紙の倒産危険度ランキングのワースト常連で投資不適格と言われていた理由が、自分の目でくっきり確認できました。
そしてデータを並べ替えると、勤務先の反対側に「東京エレクトロン」「TDK」という優良企業が現れ続けました。
勤務先という最悪のお手本を逆にして最高の投資先を見つける
——最悪のお手本が最高の羅針盤になりました。
③防衛資金という安心感——命への最終弁
2001年に窓際に異動したとき、防衛資金として500万円の貯金がありました。
もしもローンが払えなくなったとき、働けなくなったときのための資金。
絶対に使ってはいけないお金と決めていました。
逆に言えば、これがあるから好きなことができる。
窓際族で働きながら株式投資に軸足を移すことへの怖さが薄れていました。
守り神であり、命への最終弁だったのです。
「100%良かった」とは言い切れない
私は会社の歯車として成長し、正当な評価で出世したかった。
実際にそれで生きると決めて、20代に動いて成果を出しました。
でも間違った方向に強く進んでしまい、うつ病・窓際族になりました。
窓際族は「100%良かった」と言い切れません。
でも、うつ病になって、孤独で時間がある屈辱に耐えながら、3,000社を分析し、防衛資金500万円を守り神にしたからこそ、今の4億円があります。
20代の理想と今という現実
——この2つは今でも複雑に混在しています。
出世した同僚は何を失ったのか——正直な観察
窓際族の場所から観察していた
どんな手を使っても出世レースを勝ち抜く同僚を、窓際族の場所から観察していました。
業界や社内の接待で社用族、ローンで郊外の戸建て、10年落ちの中古ベンツをローンで買って社内駐車場の目立つ場所に置いていました。
「忙しい、忙しい」が口癖。
自分への当てつけのように聞こえましたが、彼らの判断軸が私と違う方向に行ってしまったと考えました。
私の戦略としては、見栄を張る必要はない。
自分の時間と自由こそが真の豊かさであると、自分の戦略を信じていました。
出世することで失った3つのもの
大株主の会社から幹部が送られてくると、出世を目指す同僚がそちらに靡きました。
その幹部が目指すのは短期で成績が伸びる派手なビジネス。
同僚は自分の判断軸なしに、将来性のない方向に舵を切っていきました。
窓際族だった私には四季報の分析でこの判断はやってはいけないとわかっていました。
でも他人事として冷たく過ごしていました。
出世することで確実に失っていくもの
- 自分の時間
- 自分の判断軸
- 失敗が許容される環境
の3つです。
特に「失敗が許容される環境」は重要で、私は窓際族だったから20代の自社株投資での480万円の損失を経験として積み上げられました。
次は失敗しないようにと学べました。
データが答えを出してくれた
「出世した人が正しい」「窓際族の自分が間違っているのではないか」という長年の疑念がありました。
でもデータが答えを出してくれました。
勤務先は消滅した。ローンが残っている。
一方で私の東京エレクトロンは50倍、TDKは19倍になり、資産は4億円になりました。
私の戦略は「会社を生活の場とし、資産は自分で作ること」でした。
会社という舟が沈んでも、自分の小舟(資産・スキル)があれば海を渡り続けられたのです。



まとめ:前編で伝えたかったこと
出世競争から離脱した21年間に、私は3つのものを手に入れました。
- 時間
- 反面教師
- 防衛資金
これが今の4億円の土台です。
でも「窓際族で良かった」とは言い切れません。
うつ病になった痛みも、屈辱も、孤独も、「100%良かった」とは思えない複雑な感情が今も残っています。
次の記事では、退職日にひっそりとロッカーに社員証を置いて帰った朝と、翌日カーテンを自分で開けた瞬間——「豊かさの定義」が変わった日の話をお伝えします。→【こちら】



ポートフォリオ公開について、そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。
みんかぶマガジンにも記事を書いています。 →こちら
にほんブログ村


コメント