32歳うつ病→株式投資へ、32歳でうつ病になった私が、株式投資を選んだ理由【後編】
弱さと向き合うとはどういうことか、うつ病が教えてくれたこと
こんにちは、前田嘉一です。
前編では「間違った方向に強すぎた20代」を、中編では「金持ち父さんとの出会いと、消去法で株を選んだ経緯」をお伝えしました。
この記事では、弱さと向き合うとはどういうことか、うつ病の経験が投資の「恐怖センサー」になった話をお伝えします。
弱さと向き合うとはどういうことか——うつ病が教えてくれたこと
「もう2度とうつ病にならない」が最優先事項になった
うつ病が教えてくれたことがあります。
- 自分のメンタルを一番にする
- 自分との対話を大切にする
- 自分で自分の機嫌をとる
——総じて「もう2度とうつ病にならない」ことを最優先にするということです。
そのために「自分が一番弱い」ということを知る。
そしてそれを絶対に忘れないようにしています。
株式投資で「うつ病になりそうな瞬間」がわかる
株式投資で「うつ病になりそうな時」があります。
自分でどうするかが決められず、頭の中で考えがグルグルと回ること。
意志という軸がブレまくっているときです。
「○○関連なら何でも儲かる」
「今買わなければ損」と他人の意見を聞いて浮足立つとき、
あるいは株を買わなければならないと焦っている自分がいるとき
——このときは「買い場」ではなく「休む場」なのです。
リーマン・ブラザーズが破綻した直後の2008年9〜10月は、人生初の大暴落で対処法がなくパニックになりました。
そこからうつ病に進展するのを恐れて相場を離れました。
結果的に10月途中のいわゆるリーマンショックの2番底から相場に復活できましたが、休んで救われました。
それでも相場は気になってしまいましたが。
「休む時を知る」——逃げてもいい
うつ病になるくらいなら、逃げてもいい。
それよりもうつ病にならないために対処法を作っておく。
例えば株を買うのも、ビジネス構造や財務を調べて購入の目標価格を決める。
それでも一度には買わない。
損切りのルールも決めておく。
できるだけ仕組みを作ってルール化する。
値動きが激しいときでも前もってレンジを予想して対処法のプランを決めておく。
そのために自分のセンサーを作って張っておく。
今ではリーマンショックのような大暴落も乗り越えた経験が積み上がり、大暴落は怖いけれど、それなりの対処法を作れるようになりました。
「恐怖センサー」の具体的な使い方
最近の恐怖センサーでは、日経平均の終値と日経平均先物の価格の差が1,000円以上あるとき、このセンサーが作動します。
例えば「明日は暴落するかもしれない」と感じたら、理由が何かを自分なりに調べる。
持ち株全体の時価総額が目減りする心積もりをする。
欲しい株が目標価格を下回る可能性があることを把握しておく
——こうした自分なりの対処を立てておくことができています。
また対処法を超えた想定外のことが起きて焦りを感じたら、それは売り買いのときではなく休む場だということもわかっています。
25年も個別株投資をして、対処法のレンジは広くなり、自分のセンサーの感度も敏感になっているのは事実です。
弱さの自己否定から、自己受容へ
うつ病になった自分は弱いという自己否定から、「その弱さを知っているから対処できる」という自己受容へ
——何年もかけてゆっくり変わっていきました。
今ではその弱さが、投資のルール(仕組み)や自分の恐怖センサーとして「自分の武器」になっています。
32歳うつ病→株式投資へ。あの日の選択が、今につながっている
ビール工場で見た「ふるい落とされた瞬間」
2026年夏、資産は4億円になり、FIREも4年目、投資勉強会も主宰しています。
サラリーマンだけではここまで来ることはできなかったでしょう。
勉強会でビール工場の視察に行ったとき、ちょうど同じ光景を見ました。
ベルトコンベアのセンサーにより、急にライン外にふるい落とされた瞬間。
「はみ出し者」の烙印。
あれと同じ扱いを、2001年に会社から受けたのだと思います。
それでうつ病になった。
生きていることさえもすべて記憶できないほどの虚無感。
一日がものすごい勢いで過ぎていく。
虫歯の詰め物を噛んだ「ガジッ」という音で、痛みより先に生きていることに気づかされる。
そうやってだんだんと我に返っていく。
もう戻りたくない。絶対に戻りたくない。
「あの朝があってよかった」とは言い切れない
「あの朝があってよかった」とは、絶対に言い切れません。
でも「あの朝がなければ、今の自分はいなかった」という事実の重さはあります。
だからこそ、もう2度とうつ病にならないことを誓い続けています。
サラリーマン投資家としてここまで来られたのは、
「うつ病にならないことを一番にしてきた」
「自分のメンタルを一番大切にしてきた」からだと思っています。
だからといって、うつ病を美化するつもりはない。
感謝でも後悔でもない、複雑な感情であることは事実です。
だから「うつ病になった、それで変わった」という単純な事実にして納得しようとしています。
「逃げる勇気」が最大の勝算になった
いつも自分のメンタルを一番大切にしてきました。
どうなるとうつ病になるかがわかる。
自分の軸がブレたり無かったりして、決断ができず考えが同じところをグルグルと回る時
——だから、うつ病にならないように色々と仕組みやルールを作っています。
常に相場に対しては恐怖センサーを張っているし、そのセンサーが反応しそうになると都度対処法プランを作ってきている。
いざという時の防衛資金もある。
株に「のめり込まないよう」に散歩をして距離を置く。
地域コミュニティ活動、スポーツのボランティアコーチも続けている。
すべては「弱い自分を守るため」です。
私がうつ病になったのは弱さのせいではなく、間違った方向に強すぎたせいでなりました。
株式投資を選んだのは強くなりたかったからではなく、弱いまま生き残れる方法を探したからです。
この弱さと共存して進んだことが、私という一人の人間が崩壊の淵から這い上がっていき、今があると思っています。
締め:弱さと向き合った人へ
弱さは押しつぶせなかった
32歳のあの朝、何者かに勝手に「強制終了のリセットボタン」を押されたとき、私は弱さと初めて正面から向き合いました。
それまでは弱さを力で押しつぶそうとしていました。
どぶ板営業を中心とした根性、
一匹狼での圧倒的な成績
——それが正義と思っていました。
でも、押しつぶせませんでした。
だから弱さと向き合うしかありませんでした。
向き合ったとき、弱さは消えませんでした。
生きていることさえも記憶できないほどの「虚無感」だったのですから、そう簡単には消えません。
でも弱さと一緒に生きていく方法が、少しずつ見えてきました。
投資技術よりも「自分のメンタルを守ること」が最優先だった
「もうつ病にはならない」
——そのために「自分のメンタルを大切にすること」。
これは私がサラリーマン投資家として生きていく上で、投資技術よりも最優先事項としてきました。
私にとって投資において最も重要なスキルは、チャートを読む力ではありませんでした。
自分の弱さを正直に認め、それを守るために「逃げる勇気」をいつも持てるかどうかでした。
市場で勝つことよりも、まず「自分という人間」を守ることこそが、結果として最大の勝算となりました。
弱さを認めることが、最強の生存戦略になる
現代社会は、私の32歳のころよりもさらに「成果主義」や「効率化」に支配されています。
それに疲弊している人にとって、弱さを認めることこそが最強の生存戦略になるかもしれません。
あなたにも、弱さと向き合わざるを得なかった日があるかもしれません。
その日が、実はあなたの人生の転換点になるかもしれません。


32歳うつ病→株式投資へ について、そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。
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