32歳うつ病→株式投資へ。32歳でうつ病になった私が、株式投資を選んだ理由【中編】
金持ち父さんとの出会い、弱い自分にできる唯一の方法
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、20代の猛烈社員がなぜうつ病になったのか
——「間違った方向に強すぎた」という逆説と、窓際族になってからの空白の日々をお伝えしました。
この記事では、療養中に出会った一冊の本と、なぜよりによって株式投資を選んだのかをお伝えします。
うつ病の療養中——記憶が「やーめた」になっていた
一日があっという間だった理由
うつ病の期間は、一日があっという間でした。
何をしていたか記憶に残っていない。
「やーめた」みたいになっているから、記憶も「やーめた」みたいになっている。
覚えることも止めているから、一日がすごい勢いで過ぎていくのです。
「食事」や「排泄」は生存本能のおかげで続けていたようです。
でも「歯磨き」はやりたくありませんでした。
それで虫歯になり、歯の詰め物が取れていく。
そしてある日、その詰め物を間違って噛んでしまい、「ガジッ」という感覚で、うつ病から我に返り始めました。
痛みより先に「生きていること」に気づかされた瞬間でした。
そんな感じで、少しずつ回復していきました。
メンタルクリニックと図書館
うつ病の療養初期は、メンタルクリニックと歯医者の両方に通っていました。
メンタルクリニックで睡眠薬をもらい、十分以上の睡眠をとる。
歯医者ですべての虫歯を治療する。
そうやって治療していきました。
やがて療養が進んでくると、本を読むことができるようになりました。
近所に図書館があったので利用しました。
最初は絵本、週刊誌(ゴシップ系)からスタートしました。
絵や写真が多いこと、「最後まで読み切る」ことができたからです。
読み切れたことを、完治に向かっているサインとして使っていました。
急に完治させようとは思っていませんでした。
絵本から始まり、スポーツ伝記、時代小説、ビジネス書へ——興味のあるものを次々と読みました。
不思議なことに、興味のある活字だけは脳に入ってきました。
「金持ち父さん貧乏父さん」との出会い
第一印象は「読んだら病気がぶり返しそう」
そんな中、ロバート・キヨサキ著「金持ち父さん貧乏父さん」に出会いました。
手に取った第一印象は「分厚くて字も細かくて、こんな本を読んだら病気がぶり返しそう」と思ったほどです。
印象はよくありませんでした。
でも読み進めていくと、「貧乏父さん」の定義を読んだとき、私は自分自身を見ているような気がしました。
「お金のために一生懸命働けば、安定してお金持ちになれると信じている」
「会社の労働収入だけに依存している」
「変化を嫌い、現状維持を望んでいる」
——すべてが私そのものでした。
私は貧乏父さんの生き方の道を、一匹狼で猛烈に進んでいき「お金持ち」になろうとしていました。
そしてその結果が「うつ病」だったとわかりました。
「すべて腹落ちした」瞬間
ここで、今まで一匹狼で猛烈社員でうつ病にまでなってしまった自分を責める感情から、自分を許す感情へと移行しました。
今まで「すべての方法(会社での生き方)」が間違っていて、それが悪かったのだと感じました。
すべて腹落ちした感覚でした。
何者かが勝手に私の「強制終了」のリセットボタンを押してくれて、助かったのです。
猛烈社員だった自分が「弱かった」のではなく、「間違った方向に強すぎた」のです。
自分が置かれた状況から戦略を持って「正しい方向」に歩いていくこと
——それが「お金持ちになる方法」だったのです。
この気づきこそが、私という一人の人間が崩壊の淵から這い上がっていくことになる、第一歩でした。
「資産と負債」という自分のものさし
この本には「お金持ちになる方法」が書かれていました。
「資産」という自分のポケットにお金を入れてくれるものをたくさん持つこと。
逆に「負債」は自分のポケットからお金を奪うもの。
資産には「自分のビジネス」「不動産」「株式投資」があり、お金持ちはこれらをたくさん持つことにフォーカスしているということでした。
それまでの私は「他人のビジネス」のために力を注ぎすぎて、うつ病になったのです。
「資産と負債の違い」がわかった。
自分のポケットにお金を入れてくれるかどうかを基準にする。
これが「自分のものさし」。
すべてを「資産か負債か」という基準で考える
——この「ものさし」を持てたことが、第2歩目でした。


なぜ株式投資を選んだのか——消去法の正直な告白
事業も不動産も、できなかった
これから「資産」を積み上げていく。
資産には「自分のビジネス」「不動産」「株式投資」がある。
この中で何にフォーカスするか。
お金持ちになる方法は理解できても、いきなり全振りするのは怖かった。
まわりに、資産をゼロから積み上げていった人が誰もいなかったからです。
頭ではわかっていても、手本となるメンターがいない。
当時の手元には住宅用の頭金1,000万円と防衛用資金500万円がありました。
でも事業を起こす体力も人脈もなく、投資用不動産を買う資金もありませんでした。
「今の給料の一部でできる」「一人でできる」「会社に黙ってできる」
だから株式投資から始めました。
「今の給料の一部でできる」「一人でできる」「会社に黙ってできる」
——この3条件を満たす唯一の選択肢が株式投資でした。
天才でも、勇者でもない。
ただ、弱いまま生き残れる場所を探していた。
消去法の末に辿り着いた株式投資が、23年後に4億円になるとは、あの頃の自分には想像もできませんでした。
株式投資しかできなかったのも事実です。
マイナス480万円からのスタート
これまでの株式投資は、会社の自社株投資と付き合いで始めたインデックスファンドだけでした。
しかも自社株投資は600万円を投資して120万円で売ったので、いきなりマイナス480万円からのスタートでした。
それでもメンターがいない「弱い自分」にできる「唯一の方法」として株を選びました。
まだ頼りない「自分のものさし(資産と負債のフィルター)」を信じ、もう勤務先には騙されないという決意と意地が芽生えていました。
弱い自分でしたが、「なんかできそう」という自信だけはありました。
うつ病にとても感謝している——でも美化しない
私はうつ病になって、すべてを崩壊することによってしか、本当の自分の欲求には気づけませんでした。
それは、出世のラットレースを勝ち抜くことでなく、ただ「お金持ちになりたい」という中学生のころの夢でした。
皮肉なようですが、うつ病にはとても感謝しています。
でも、「やーめた」みたいな虚無の状態から、次の道を見つけて復活するまでには、自分でいうのも何ですが相当な苦しみがありました。
うつ病は新しい道を照らすから素晴らしいというのではなく、代償もすごく大きい。
もう2度となりたくありません。
もし仮にあの時うつ病にならずに続けていたら、「貧乏父さん」として心もろとも社会の歯車として生きていたでしょう。
そして私がFIREした2022年秋の半年後に勤務先は他社に吸収されて消滅します。
そのときに初めて「貧乏父さんだった」と気づき、そこから復活する時間もなかったと思います。
だから「うつ病にはとても感謝している」
——それが正直な気持ちです。

まとめ:32歳うつ病→株式投資へ。弱い自分にできる唯一の方法を見つけた
虫歯の詰め物を噛んで「ガジッ」という感覚で我に返り、図書館で絵本を読み始め、やがて「金持ち父さん貧乏父さん」に出会い、「資産と負債」という自分のものさしを手に入れた。
そして消去法の末に株式投資を選んだ
——これが32歳での選択の正直な経緯です。
技術でも才能でも勇気でもなく、弱いまま生き残れる方法を探した結果でした。
次の記事では、弱さと向き合うとはどういうことか、うつ病の経験が投資の「恐怖センサー」になった話をお伝えします。→【こちら】




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