32歳うつ病→株式投資へ。32歳でうつ病になった私が、株式投資を選んだ理由【前編】
なぜうつ病になったのか、間違った方向に強すぎた20代
こんにちは、前田嘉一です。
2001年のある朝、私は会社に行けなくなりました。
行けなくなったというより、自ら行きたくなくなった。
理由はわからない。
ただ、急に仕事を中心にすべてに興味がなくなりました。
夜明けの空を見たとき、空から突然、何かわからないメッセージのようなものが来ました。
何者かに勝手に私の「強制終了」のリセットボタンを押されたような感覚。
その結果、脳内も身体もすべてが「やーめた」みたいになりました。
それで本当に、すべてを止めました。
32歳のときです。
なぜうつ病になったのか——20代の猛烈社員の末路
断トツの個人成績、それでも変えられなかったもの
それまでの私は猛烈社員でした。
当時普及し始めた携帯電話を駆使して、業者訪問とどぶ板営業で断トツの個人成績をあげていました。
他人の3倍は働いていて、それに見合った成績でした。
でも勤務先は、今でいう上場プライム企業でしたが、高速道路や橋梁が完成・発達すると衰退してしまうビジネス構造でした。
財務も万年赤字の債務超過。
社員にはやる気が感じられず、社用族として生きることにうまみを覚えているようでした。
私は新卒入社から自社株を600万円分購入していました。
その時価が下がっていくのも感じていました。
会社の業績を自ら上げて、株価も上げようと頑張っていました。
でも個人成績がいくら上がっても、株価の下げトレンドは変えられませんでした。
人事部への直訴、そして孤立
会社を変えようと精一杯やりました。
上司や同僚への正面衝突もありました。
役職や給料を上げてもらうよう人事部へ直訴もしましたが、年功序列という壁に阻まれて無駄でした。
人事部もグルでした。
直属の上司や同僚との溝はさらに深まりました。
ますます「一匹狼」になり、孤立感は深まっていきました。
事務作業は家に持ち帰り、深夜3時までノートパソコンに向かっていました。
最初のうちは、自分が頑張れば会社も変わると思っていました。
でも実際、自分が頑張ってもどうしようもできない。
孤立感の中でますます仕事は増えていく。
自分の意志とは違う方向にしかならない——それでうつ病になってしまうのです。
「間違った方向に強すぎた」という逆説
一度信じ込んだ「努力すれば報われる」という価値観を捨てることは、「過去の10年間の努力がすべて無駄だった」と認めることに等しかった。
自社株が半値以下に下がっていく事実はあまりに衝撃が大きすぎて、認めることができませんでした。
だから「さらにもっと頑張れば何とかなるかもしれない」という希望的観測を維持し続けるしかなかったのです。
今だからわかります。
シャッター通りの店で、意地になって一生懸命に集客しようと頑張っていたのと同じです。
そこで生き残っているタバコ屋や薬屋は、不動産など別の儲かるビジネスを持っている。
集客するには人の多い場所に行かなければならないのに、そのためのお金はどこも貸してくれない。
20代の社員レベルでは、正しいことを正しくやっても、システムが間違っていれば破綻するのです。
努力しても報われないことがある
——それが資本主義のルールの残酷さです。
当時の上司やまわりはそれがわかっているから、社用族になり会社に「たかれるだけたかる」状態でうまくやっていました。
それを急に変えようとしたのだから、「一匹狼」になり孤立して、最後はうつ病で倒れるのは必然でした。
猛烈社員だった自分が「弱かった」のではなく、「間違った方向に強すぎた」のです。

うつ病の日々——「終わった人」になってからの正直な記憶
自ら窓際族を選んだ
私は自ら窓際族への転勤を希望しました。
会社も早く療養してほしかったのか、厄介者を追い出せると思ったのかはわかりませんが、すぐに辞令が出ました。
「終わった人」「出世の芽がない人」「本気になれば仕事ができる人」というレッテルが貼られました。
人間は将来出世しそうな人に寄ってくるもので、その逆の人には寄ってきません。
勤務先では噂話や人事の話が特に大好きでした。
その競争からはみ出される
——まさに空気のような扱いでした。
時計が17時まで動くかを確認するだけの日々
うつ病明けのころは、本当に仕事がありませんでした。
時間があることに慣れていないので、どうでもいい仕事を見つけて時間をかけてゆっくりやる習慣もありませんでした。
時計が17時まできちんと動くかどうかを確認するのが仕事でした。
まさに太陽が西に沈んでいくのを見届けるような毎日。
こんな空白の時間は、自分から進んだとはいえ最初は「屈辱」でした。
でも別に何もしなくても怒られませんでした。
むしろ何もさせないように押し込めた、見せ物のような気もしていました。
会社への期待を手放した瞬間
うつ病が治っても、元の猛烈社員に戻ることはしないと決めていました。
再び「さらにもっと頑張れば何とかなるかもしれない」と一人で頑張る気力は湧いてきませんでした。
上司やまわりのように社用族になることもやりたくなかった。
転職も考えましたが、当時は不況でろくな転職先もありませんでした。
「このまま定年まで時計を見ていればいいのか」という虚無感はありました。
でも「会社に何かを求めることはやりたくない」
——まさに「空白」の時間でした。
そしてこの空白が、逆に「自分が何をしたいか」という問いを生みました。
「会社という外部的な評価軸」から解放されて、「内面的な価値観」を再構築する余地が生まれたのです。


まとめ:壊れたから、見えたもの
20代の猛烈社員は「正しいことを正しくやれば報われる」と信じていました。
でもシステムが間違っていれば、正しくやっても報われない。
その事実を受け入れられずに、間違った方向にひたすら強く進み続けた結果が、うつ病でした。
「強制終了のリセットボタン」が押されて、初めて立ち止まることができた。
そして立ち止まったとき、「会社以外に何があるか」という問いが、静かに生まれ始めました。
次の記事では、療養中に出会った一冊の本と、なぜよりによって32歳うつ病→株式投資を選んだのかをお伝えします。→【こちら】




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