資産4億円になった今、私が次に目指していること【前編】——お金が目標でなくなった日、中学生の夢から4億円まで
こんにちは、前田嘉一です。
毎日、太陽の光を浴びながら街の中を散歩しています。
投資はのめり込まず、あえて少し距離を置いている。
街の風景の細やかな変化を探す——探すというより、向こうから教えてくれる。
周波数が合うという感じです。
今はカエデやイチョウの葉の成長を確認して、ツバメの巣を探し、カルガモの子育てを心待ちにする。
そして公園のベンチでヒートマップを確認する。
もし明日、資産が2倍の8億円になったとして、この散歩はするだろうかと考えます。
実際、4〜6月の2ヶ月で1億円増えても何も変わらなかった。
おそらく8億円になっても、この散歩は変わらないでしょう。
では、私は今、何を目指しているのでしょうか。
お金を増やすことは、目標ではなくなった
お金を増やすことに興味がなくなったというのは嘘です。
興味はある、増やしたい。
でも、目標額を決めて、それに向かって覚悟を決めて邁進していく——そういうことではなくなりました。
それよりも「街の問題を解決したい」「街の役に立ちたい」と考えています。
散歩をしていると、向こうから、解決してくれそうな私を選んで語りかけてくるようです。
この記事では、なぜお金が目標でなくなったのか、その経緯を正直にお伝えします。
東大阪の路地裏で誓ったこと
中学生の夢は「お金持ちになること」
私は薄給サラリーマン家庭に生まれ、東大阪という街で育ちました。
金属片が散らばり、機械油がしみた町工場の路地裏。中学生のころの夢は「お金持ちになること」でした。
そのためには社長(事業家)か、株(投資家)をやらなければならないと、ぼんやりとわかっていました。
でも「お金持ちになる方法」がわかりませんでした。
32歳、うつ病のときに答えを見つけた
お金持ちになる方法がわかったのは、32歳でうつ病になったときに読んだ本——「金持ち父さん貧乏父さん」でした。
ポケットにお金を入れてくれるもの(=株)をたくさん持つことがお金持ちになることだと書いてありました。
そこから窓際族に進み、「静かな退職状態」で良い株を安く買って持ち続けることを、人生の戦略にしていきました。
目標額の変遷——1億、そして2億へ
最初の目標は「1億円」
お金の目標はまず1億円。
まだ「億り人」という言葉はありませんでしたが、億万長者から取った言葉だったと思います。
手取りの生涯賃金が2億円だったので、その額を稼げば「もう生涯賃金分は稼いでしまった」と言い訳できると思いました。
そこで最終はとりあえず2億円を目指すことにしました。
人とは違うサラリーマンの道を選んだのだから、目標も大きく取りたかった。
ルールは2つ。
本職は辞めない。500万円の防衛資金を作り、それには手をつけない。
21年後、2億円で早期退職(FIRE)
32歳で窓際族に進み、静かな退職を続けて21年。
2億円で早期退職(FIRE)しました。
別に65歳まで窓際族で構わなかったし、覚悟もできていました。
バスケットの試合で勝負が決まって、タイムが0になるまで無駄なプレーで時間を稼ぐ動作——それでいいと思っていました。
毎日17時になるまで時計がきちんと動くかを確認する作業にも慣れていました。
空気のように誰にも気にされず、誰にも褒めてもらえない。
そういう孤独な作業には慣れていました。
それもすべて、会社の誰にも一言も言っていない資産(2億円)があったからです。
当初の目標の2億円は達成していましたから、次は定年というゲームセットの時計を眺める孤独な作業になっていました。
この仕事は全く嫌ではありませんでした。
FIREを決断した日——昇格人事と、頭に浮かんだもの
子会社社長含みの昇格人事が来た
そこに、子会社社長含みの昇格人事が来ました。
何もなければ65歳で社長で終われます。
でも、地方勤務で土日が休みではありませんでした。
こんな会社のために、まったくゼロから人間関係を築いていくことは、私にとっては無理でした。
鉢植えではなく、会社には全く内緒にしていた、根付いたものがあったのです。
あの昇格の話が来たとき、最初に頭に浮かんだのは仕事のことではありませんでした。
地域のスポーツコーチとして子供たちと過ごす、あの時間のことでした。
その答えは、毎朝会社に向かう電車が地上から地下に入る瞬間、私の心の奥に急に降りてきました。
「もう働かなくていい」と。
それでFIREに踏み切りました。
窓際族が教えてくれた「生きがい」の正体
「終わった人」として生きながら、毎日続けていたこと
2001年、32歳でうつ病になり、自ら窓際族に移動しました。
「終わった人」「いざとなったら仕事ができる人」などと陰で言われながら、静かな退職をしていました。
それでも「働いている体」をしながら、毎日裏では色んなことをしていました。
当時は社内LANの構築が課題でした。
私は業者と各営業所の工事日程を調整するだけの、どうでもいい伝書鳩のような仕事をやらされていた。
だからエクセルの画面を出していても怪しまれません。
毎日、四季報CD-ROM版からデータをエクセルに落として、各指標を並べ替えていました。
上場会社すべてのビジネス構造と財務分析の基礎「土台」ができたこと。
そこからさらに興味ある会社を深掘りして、毎日投資ブログを書いて、ネット上のブロガーたちに返信していました。
32歳で窓際族に進んで仕事がない屈辱の中、自分がこれから生きていこうと決めた株式投資を、土台作りからコツコツと毎日積み上げていくことができました。
「自分で事実を見て、自分で判断する」という自律性
一番大きかったのは、実際の数字(事実)を見て「自分なりに感じる」ことができるようになったことです。
勤務先はすべての財務諸表においてほぼワースト圏でした。
夕刊紙に「倒産危険ランキング」で発表されたことが、自分の分析でも確認できるようになりました。
事実である数字から会社を分析して、投資先を自分なりに選んでいくこと。これが当時の生きがいでした。
つまり、他人の評価や組織のルールではなく、「自分が事実を見て、自分で判断する」という人間としての最も根源的な自律性を取り戻すことこそが、生きがいだったと思います。
窓際族という「死に体」の時間が、実は「自分の人生を再構築する時間」だったのです。



まとめ:資産4億円、お金は「目標」から「道具」へ変わった
中学生のころ「お金持ちになりたい」と誓った。
32歳でうつ病になり、「金持ち父さん貧乏父さん」で方法を知った。
窓際族の21年間、孤独に積み上げて、2億円でFIRE。
そして今、資産4億円のお金になった。
でも4億円になっても散歩は変わらない。
資産が増えても朝の日課は何も変わらない。
この事実が教えてくれることがあります。
資産4億円、お金は「目標」ではなく「道具」だったということです。
そしてその道具で何をするのか
——次の記事では、今の私を支えている「3つの生きがい」についてお伝えします。→【こちら】




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