FIRE後、ポートフォリオが教えてくれたこと【執着と勝利】

窓際族時代の「執着」が、結果として勝利に変わるまで
ポートフォリオの全体像:「集中」という名の執着
円グラフで見ると、その構成の極端さが一目瞭然になっています。
35銘柄を保有していながら、上位2銘柄で全体の72%を占めています。
- 東京エレクトロン:47%
- TDK:25%
- 外債ETF、カバードコールETF:6%
- 味の素:3%
- 村田製作所:3%
- 任天堂:2%
- その他29銘柄:14%
一般的な投資アドバイスであれば、こんな「集中投資」は決して推奨されません。
リスク管理の観点から言えば、むしろ警告の対象です。
しかし、この形は、決して計画的に設計されたものではありませんでした。
むしろ、それは私の人生そのものが作った、不可避の形だったのです。
現在、私の株式資産は3.4億円です。
東京エレクトロン:20代の「恥」から始まった26年の約束
1997年、府中市への夜間ドライブ
時は1997年。私は20代で、営業部門に配属されました。
勤務先は高速道路や橋梁などの社会インフラが完成や発達すれば衰退してしまう企業でした。
経営効率は悪く、社内の雰囲気も沈滞していました。
営業引継ぎの対象企業の一つが、東京エレクトロンでした。
「ああ、エレクトーン(楽器)の会社ですね」
当時、社内ではそう認識されていました。
取扱額も少なかったため、誰も本気で向き合っていません。
引継ぎ資料も不十分で、私は右も左も分からないまま、営業を任されることになりました。
大阪から夜間の高速道路を飛ばして、東京の府中市にある東京エレクトロンの事務所に向かったのは、恥をかく準備をしていたようなものです。
「半導体」という、もう一つの世界
担当者の方は、私の無知に気づいてくれました。
丁寧に、本当の業態を教えてくれました。
東京エレクトロンは、半導体製造装置の企業。
楽器ではなく、世界中の半導体工場に、複雑で高度な製造装置を納入する企業。
そのビジネス構造は、私の勤務先とは全く逆でした。
- 私の勤務先:低効率、国内中心、衰退傾向
- 東京エレクトロン:高効率、海外展開、成長軌道
その担当者から、「半導体サイクル」という概念も学びました。
半導体業界は、景気のサイクルに大きく左右される。
好況と不況が波のように繰り返される。
その波を理解することが、この企業を理解することだ、と。
20代の私は、その話を聞きながら、自分の勤務先への絶望感と、東京エレクトロンへの憧れが同時に胸に湧き上がるのを感じました。
「この企業は、本当に儲けている。潰れない。成長している。一方、自分の会社は…」
その差は、あまりにも大きかったのです。
2004年、初めての株購入
株を買い始めたのは、2004年のことです。
当時、2001年のうつ病がきっかけで、「窓際族投資家」への道を歩み始めたばかりでした。
会社での評価は低く、やることもなく、毎日をなんとなく過ごしていました。
そんな中、東京エレクトロンの株を買うという行為は、私にとって唯一の「勝負」でした。
「会社は私を評価しない。でも、この企業の株なら、私の判断を正当化してくれるはずだ」
そう思い込んでいたのかもしれません。
2008年、リーマンショックの恐怖と執着
2008年、リーマンショックが襲いかかりました。
株価は急落します。
多くの投資家が、保有株を売却し、現金化しようとしていました。
パニックの中で、「今すぐ売らないと、すべてを失う」という恐怖が、市場全体を支配していました。
その時、私は買い増しを決断しました。
バフェットの「潮が引いた時に誰が裸で泳いでいたか分かる」という言葉から、「潮は満ちてくる」という「こじつけ」だけを頼りにしました。
それは理性的な判断ではありませんでした。
むしろ、感情的な執着でした。
「この企業を手放すことは、20代の頃の自分を手放すことだ。」
「営業で学んだ、あの半導体の世界への憧れを、自分で否定することになる。」
株価が半分に落ちても、私の指は売却ボタンに触れることはできませんでした。
代わりに、成約できないストップ安手前の価格で買い注文を入れ続けました。
周囲からは、「狂っている」と思われたでしょう。
実際、その判断が正しいのか、間違っているのか、その時点では誰にも分かりませんでした。
ただ、私は「逃げたくない」という一心で、買い続けたのです。
「売らない」という決断の正体
それから16年間、私は東京エレクトロンの株を一度も売っていません。
その理由は、投資理論や企業分析ではなく、もっと深い部分にありました。
この株を手放すことは、「窓際族での投資家を辞めること」と同じ意味でした。
そして、それは「自分の勤務先に屈服すること」と同じ意味でもありました。
「会社が私を捨てるなら、私は株で勝ってやる。その誓いを破ることはできない」
その執着は、理性を超えていました。
むしろ、それは「過去の自分との約束」だったのです。
株価46倍、1.5億円の利益
現在、東京エレクトロンの株価は、買値の46倍になっています。
含み益は1.5億円を超えました。
しかし、その数字よりも印象的だったのは、別の出来事です。
私が退職してから、わずか半年後に、私の勤務先は他社に吸収されて消滅しました。
あの、私が営業時代に学んだ企業の憧れを生み出し、そしていつも迷路の中で、効率を失い、衰退していた勤務先が、本当に消えてしまったのです。
その時、私は複雑な感情を感じました。
「ざまあみろ」という勝利感と、「20代からの企業への憧れ(と絶望)が、本当に消えてしまった」という喪失感が、同時に胸に湧き上がったのです。
東京エレクトロンの株を握り続けているのは、単なる投資判断ではなく、20代からの自分との対話だったのだと、その時初めて気づきました。



TDK:窓際族の孤独な戦い
2005年、Excelの中の真実
2005年、私の窓際族の状況はさらに悪化していました。
会社での居場所はなく、やることもなく、毎日を無為に過ごしていました。
その時間の中で、私が唯一の相手にしていたのが、Excelと四季報の作業でした。
窓際族だからこそ、時間がありました。
その時間を使って、私は四季報CD-ROMの財務データを片っ端からExcelに落とし、並び替えを繰り返していました。
- ROE(自己資本利益率)
- 利益剰余金
- 海外売上比率
これらの指標で、企業を分類し、ランク付けしていました。
その作業は、投資判断というより、瞑想に近かったのかもしれません。
会社で誰からも評価されない自分が、せめて「数字の世界」では、正しい判断ができるはずだと、そう信じたかったのです。
四季報を丸暗記できました。
その時、私の目に飛び込んできたのが、TDKでした。
「真逆」への執着
TDKの数字を知ったとき、私は衝撃を受けました。
- 私の勤務先:ROE(N/A)、利益剰余金ない、海外売上なし
- TDK:ROE高い、利益剰余金豊富、海外売上比率高い
「本当に儲けているか」「潰れないか」「成長市場で戦っているか」
その三つの問いに対して、TDKは完璧に「YES」と答えていました。
そして、その答えは、私の勤務先とは完全に真逆でした。
「この企業は、本当に強い。一方、自分の会社は…」
その時、私は奇妙な執着を感じました。
「勤務先で不遇だったから、その『真逆』の企業に投資する」という論理は、投資家としては異常です。
しかし、その異常さこそが、私を突き動かしたのです。
2003年から始まった、迷いながらの投資
実は、TDKへの投資は2003年から始まっていました。
しかし、最初の数年間(2003~2005年)は、買ったり売ったりを繰り返していました。
私の投資法が確立されていなかったのです。
しかし、2005年にExcelの中で「真逆」を発見した時、何かが変わりました。
それは、単なる投資判断ではなく、「自分の人生設計への投資」に変わったのです。
2008年、リーマンショックの中での買い増し
2008年のリーマンショック。
東京エレクトロンと同じく、TDKの株価も急落しました。
市場全体がパニックに陥る中で、多くの投資家が売却を急いでいました。
その時、私は再び買い増しを決断しました。
しかし、その時の恐怖は、今までの暴落とは異なっていました。
「本当に大丈夫か。」
「この企業の数字は本当に信用できるのか。」
「もし、この判断が間違っていたら…」
その時、私の指は本当に震えていました。
恐怖と執着の狭間で、注文を入れるのに何度も躊躇しました。
しかし、最終的には、ストップ安手前の価格で買い増しの注文を入れ続けました。
理由は、シンプルです。
「窓際族の自分が、Excelの中で見つけた唯一の真実を、ここで否定することはできない」
そう思ったのです。
2011年、タイ洪水の時の決断
2011年、タイの工場が洪水に見舞われました。
TDKはタイに重要な生産拠点を持っていました。
その洪水は、TDKの事業に大きな打撃を与えるはずでした。株価は急落します。
その時、私は再び買い増しを決断しました。
その時の心情は、これまでで最も複雑でした。
「もし、ここで売ったら、自分は何なのか。」
「窓際族の時代に、Excelの中で一人で戦った自分は、何だったのか」
それは、もはや投資判断ではなく、自分自身の人生への投資でした。
売るということは、「自分の投資眼が間違っていた」ことを認めることと同じ意味でした。
そして、それは「窓際族の自分の時間が、無駄だった」ことを認めることと同じ意味でもありました。
だから、私は売りませんでした。
代わりに、この企業と心中する覚悟を決めて買い増ししていきました。
「純粋な数字」への信仰
2005年以降、私はTDKの株を一度も売りませんでした。
その理由は、シンプルです。
この企業の数字は、嘘をつかない。
そして、その数字が示す『強さ』を信じることは、自分自身を信じることと同じだ。
そう思ったのです。
現在、TDKの株価は19倍になり、含み益は約8,000万円になりました。
しかし、その数字よりも大切なのは、「窓際族だった自分が、Excelの中で見つけた真実が、本当だった」という確認なのです。



東京エレクトロンとTDK:最後の砦
二つの企業が共通していたもの
東京エレクトロンとTDK。
一見すると、異なる企業です。
しかし、私にとっては、同じ意味を持っていました。
それは、「勤務先との対比」です。
勤務先で不遇だった自分を、唯一肯定してくれるのが、この二つの企業の株でした。
「会社は私を評価しない。しかし、この企業の株なら、私の判断を正当化してくれる」
その思いが、私を突き動かしました。
窓際族時代の「最後の砦」
窓際族時代、私は絶望的な状況にありました。
会社での昇進はなく、給与も上がらず、毎日が無為に過ぎていきました。
その中で、唯一の希望が、この二つの企業の株でした。
「もし、この株が成功したら、自分の人生も成功したことになる」
そう思い込んでいたのかもしれません。
しかし、その思い込みが、私を救ったのです。
なぜなら、その思い込みが、「売らない」という決断を支え、その決断が、大きな利益をもたらしたからです。


これから:「決断と葛藤の記録」として
ブログの役割
私のブログは、投資ノウハウを教えるためのものではありません。
むしろ、それは、「一人の男の決断と葛藤の記録」です。
ポートフォリオの数字よりも、その数字に至るまでのプロセス。
そのプロセスの中での感情。その感情の中での葛藤。
それらを、赤裸々に発信することが、私のブログの役割だと思っています。
だから、FIRE後のポートフォリオの更新頻度は、2~3か月に1回程度です。
大きな変化がないからです。
むしろ、変わらないことが、私のメッセージなのです。
FIRE後の新しい対話
4年前に早期退職しました。
その後、勉強会などで、様々な投資家の方と対話する機会が増えました。
その中で、私が最も興味を持つのは、「投資法」ではなく、「人間ドラマ」です。
「リーマンショックの時、あなたはどうしていましたか」
「その時、何を感じていましたか」
「なぜ、売らずに買い増しを決断したのですか」
そういったときの、正直な問いと答えを語り合うことを心から楽しんでいます。
なぜなら、そこには、数字には表れない、人間の本質が隠れているからです。



最後に
FIRE後、3.4億円のポートフォリオ。
その中の47%を占める東京エレクトロン。
その中の25%を占めるTDK。
それらは、単なる「投資商品」ではなく、「窓際族だった自分との対話の記録」です。
「もし、あの時売っていたら、今の自分はいない」
その確信が、私を支えています。
そして、その確信は、「失敗しないまま逃げ続けている」という、奇妙な表現の中に、凝縮されているのです。
FIRE後、ポートフォリオが教えてくれたこと、ブログのご感想などがあればお待ちしています。
みんかぶマガジンにも記事を書いています。 →こちら




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