FIRE後に気づいた、お金では買えなかった2つのもの【後編】|対等な人間関係と、選んで動く時間
こんにちは、前田嘉一です。
前編では「居場所を守るためにFIREを決断した」話を、中編では「送別会もなく静かに終わった退職日」の話をお伝えしました。
この記事では、FIREして4年が経った今、本当に感じていることをお伝えします。
お金では買えなかったもの。それは2つでした。
FIREして最初に「拍子抜け」した話
自由になって、最初にやりたかったことは何だったか。
正直に言うと「近所の散歩」でした。
退職翌日の朝、自分でカーテンを開けました。
ピーカンの天気で、いきなりの太陽の光が目に入りました。
何十年ぶりかに朝の太陽を直視した気がしました。
食事して、太陽の光を浴びに近所を散歩しました。
夕方も散歩に出ました。夕陽も綺麗で有難い。
21年間、窓際族という暗くジメジメとした場所にいた私には、近所の太陽でさえありがたくて綺麗に見えました。
それから4年、今も毎日1万歩の散歩を続けています。
FIRE後にやりたかったのが「近所の散歩」だったと知って、拍子抜けしました。
でもその拍子抜けこそが、答えだったのだと今は思っています。
お金では買えなかったもの①「対等な人間関係」
独学21年間——投資家と話したことがなかった
FIREしてから、オープンな株式投資勉強会に参加するようになりました。
私は2001年から21年間、図書館の本やSNSのブログを読んで知識を得て、独学で個別株投資を続けてきました。
投資家の方と実際に会って話すのは、FIREするまでほとんどありませんでした。
だから、リアルで投資家さんと話すことがすごく新鮮でした。
FIREした人の「本当の話」を聞きたかった
勉強会でFIREした方に会うたびに、どのような過程を経てFIREしたのかを聞くのが楽しみでした。
でも正直に答えてくれる人は少なかった。
多くの方が、ごまかしたように口を濁します。
正直に話してくれる人は、もともと事業家の家に生まれた方、不動産を相続した方、医師や教授など高収入の職業の方が多い。
私のように薄給のサラリーマンからFIREした人は、本当に稀でした。
だから、正直に話せる人を友達にすることにしました。
資産家の子供でも、独身の方でも、構いません。
FIREして現在どのように生きているかを話したい。
あのときどう感じたか、どう思ったかを、対等な立場で語り合いたい。
そう思っていました。
地元で投資勉強会を主宰するようになった
そのうち顔見知りが増えてきて、地元の会場を借りて投資勉強会を主宰するようになりました。
休日はスポーツコーチがあるので、毎月平日の第1火曜日などに固定しました。
各自が発表する形式にし、勉強会だけでなく視察旅行や食事会、交流も取り入れました。
FIRE済みの方、株に興味がある専業主婦の方などと知り合い、まもなく20回を迎えます。
会社の名刺も肩書きも関係ない、
資産と知識だけで対等に話せる場。
本当に楽しいのです。
いつも話し足りない、もっと話したいと思います。
それが勉強へのモチベーションになっています。
「みんなの前で堂々と話していいんだ」という驚き
会社では窓際として空気のように扱われてきた私が、勉強会では主宰者として尊重されます。
サラリーマン時代の私には「終わった人」「出世をあきらめた人」というフィルターがかかっていました。
だから話しかけてくる人もいませんでした。
でも勉強会では、みなさんが真剣に話を聞いてくれる。
最初は驚きました。「みんなの前で堂々と話していいんだ」という感覚が、正直新鮮でした。
会社というフィルターが外れて初めて見えた、本物の人間関係。
これはお金では買えませんでした。

お金では買えなかったもの②「選んで動く時間」
地域スポーツ協会の監事、市のスポーツ委員に
FIREして、地域スポーツチームのコーチ専任になりました。
その後、地域スポーツ協会の監事に、さらに市のスポーツ協会の委員として活動するようになりました。
すべてボランティアです。
市長や教育委員会の会長が気さくに世間話をしてくれます。
かつての勤務先の社長が頭を下げるような方からも感謝の言葉をいただきます。
やって「当たり前」ではないのです。
「こどもの日」のイベントで実行委員を務めた
先日、市のスポーツ協会で「こどもの日」のイベントを行いました。
スポーツ普及と生涯スポーツをテーマに、さまざまな体験会を開催しました。
私も実行委員として参加しました。
鯉のぼりを出したり、キッチンカーの食事場所を手配したり、自分がコーチしているスポーツの体験会コーナーを設営したり。
指示を出したり、自ら動いたり、自分で考えて、みんなで協力しながら差配する。
この楽しさとやりがいが好きです。
街の隅々に興味を持つようになった
この街の将来、子供の育成、市民の生涯スポーツ。
特に外に出て太陽を浴びてもらうこと。
いつも前向きになって、街のこと、子供の未来について何ができるかを考えています。
サラリーマン時代にはなかったことです。
住んでいる街の隅々に興味を持つ毎日。
時計が17時になるのを待っていた日々
会社では具体的な指示もなく、まわりに気を使って自ら動くこともありませんでした。
窓際で17時になるのを時計と一緒に待っていました。
そのつまらない時間に、時間を売って給料をもらっていました。
今では、自分でできた時間を選んで動いていく。
みんなが期待してくれている。
毎日にはない楽しさがあります。
このやりがいはお金では買えません。

捨てたものと、捨てなかったもの
FIREして、捨てたものと残したものがありました。
捨てたもの:「会社」と「約束された地位」。自分が楽しくない場所。
残したもの:「地元」「地元のスポーツチーム」「投資家仲間」。自分が本当に楽しい場所、大事にしたい場所。
53歳になって再びうつ病になりそうになったとき、電車が地下に入った瞬間に答えが降りてきました。
自分の気持ちに正直になること。
「大事にしたい居場所」に居続けられるかどうか。
不安がなかったとは言えませんが、覚悟は決まっていました。
現在57歳——FIREして4年が経った今
現在57歳。FIREしてから4年が経ち、資産は3.1億円に増えました。
育った東大阪の地元には、電車の窓から見るだけで行きたいとは思いません。
勤務先には退職日から一度も行っていないし、同僚とも会っていません。
記憶が消えるようにどんどん薄れていっています。
それでも構いません。
後悔はありません。
まとめ:FIREして気づいたこと
お金があっても、それだけでは何も変わりませんでした。
「何をしていいかわからない」「人間としての価値がなくなるのでは」という不安は、お金では解決できませんでした。
でも2つのものが、その不安を超えてくれました。
会社というフィルターのない「対等な人間関係」と、自分で選んで動ける「時間」。
これはお金では買えませんでした。
FIREは、お金を手に入れるためではなく、この2つを手に入れるための手段だったのかもしれません。
もしあなたが今の仕事をやめたとき、残るものは何ですか。
ありますか。
その問いに答えられるなら、FIREへの準備はもう始まっているかもしれません。

FIREしてからのこと、そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。
みんかぶマガジンの著者です →こちら


にほんブログ村


コメント