退職日に送別会はなかった【中編】——それでも清々しかった理由|窓際21年の清算と会社消滅
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、2022年7月に突然の単身赴任辞令が来て、「居場所を守るため」にFIREを決断するまでの話をお伝えしました。
この記事では、退職日当日の話をお伝えします。
送別会はありませんでした。
花束もありませんでした。
31年間の会社員生活の最後は、拍子抜けするほど静かなものでした。
でも、清々しかった。
なぜ清々しかったのか。正直にお話しします。
退職日を夢見ていた入社式の日
1991年4月、私は上場プライム企業に入社しました。
当時の退職日への憧れはこうでした。
大勢に見送られて、大きな花束をもらい、20代の苦労話や武勇伝を語り合い、若手に自分の生き様を伝える——そんな場面でした。
21年間の窓際族でも、歓送迎会だけは嫌々ながら1次会だけ参加してきました。
だから退職時には、少しだけ送別会の開催を期待していました。
送別会はなかった——「何で」という怒り
2022年11月12日、退職日。
送別会はありませんでした。
正直に言うと、「何で」という怒りがありました。
私は窓際族でしたが、32歳でうつ病になるまでは猛烈社員で、成績も抜群に上げていました。
本当に会社を愛し、会社のために尽くしていた時期がありました。
その功績を最後まで認めてもらえなかった。
若手に発表する時間すら、なかった。
退職をまわりが悲しまなくていい。
でもせめて、思い出話や20代の苦労話を語り合って、私の存在や生き様を若手に伝えたかった。
ここは正直に反省します。
長年「窓際」で人間関係を築いてこなかった自らの過ちです。
残念で落ち込みました。
代わりにあった「瓶ビール1本」の食事
退職日の少し前の夜、支援先の親会社から来た社長と人事部長と、チェーン店の居酒屋で食事しました。
瓶ビール1本をコップに分け合いました。
この2人が、今回の異例の抜擢人事の正体だとわかりました。
退職が決定した後だったので、引き止めはありませんでした。
「近くの転勤なら受け入れていたのに」という想いは残りました。
でも食事の途中、こんなことを聞かされました。
「会社の内規として、退職日にはささやかな宴を催すことになっている。一人でもそれをしないのはコンプライアンス違反になる」
——だから今日この場が設けられたのだと。
つくづくこの会社が嫌になりました。
最後の最後まで、形式とコンプライアンスの会社でした。
やめて正解でした。
悔やむことはなく、清々した気持ちでした。
退職日当日——普通の夜、特別な眠り
退職日は、惜しまれることなく普通に自宅へ帰宅しました。
夜の妻の食事も、いつも通りでした。
ただ一つだけ特別なことをしました。
目覚ましをセットせずに寝たことです。
31年の入社時に描いていた退職日のイメージとは、まったく違っていました。
でも、もう会社とは清々していました。
2億円というお金が、私の強がりを支えてくれていました。

半年後、会社が消滅した
退職から半年後、その会社は同業他社に吸収されて消滅しました。
私は退職日から、かつてあった会社に一度も行っていません。
同僚とも会っていません。気になりません。
記憶が消えるようにどんどん薄れていっています。
それでも構いません。
なぜ清々しかったのか——2億円が「強がり」を支えてくれた
送別会もなく、花束もなく、ただ静かに帰宅した退職日。
それでも清々しかった理由を正直に言うと、2つあります。
ひとつは「居場所はすでにあった」こと。
スポーツコーチとして12年間積み上げてきた居場所が、退職と同時に待っていました。
会社を出た翌週には、いつものグラウンドに立っていました。空白はなかった。
もうひとつは「2億円という事実」があったこと。
会社に認めてもらえなかった。送別会もなかった。
でも、株式投資で「サラリーマンが手取りで一生稼ぐ分」を手元に積み上げていた。
その事実が、静かな強がりになっていました。
誰かに認めてもらわなくても、自分の選択が正しかったという根拠が、数字としてそこにありました。


「窓際21年の清算」が終わった日
退職日は、窓際21年間の清算が終わった日でした。
32歳でうつ病になるまでは猛烈社員だった私が、そこから21年間を窓際で過ごした。
誰にも相手にされず、空気のように扱われ続けた。
その21年間が、退職日に静かに幕を下ろしました。
怒りもありました。
後悔もありました。
でも悔やむよりも、清々しさの方が大きかった。
会社という重しが取れた瞬間でした。
次の朝、自分でカーテンを開けたとき、まぶしい太陽の光が目に入りました。
その話は前編でお伝えしました。
あれが、清算の終わりの証でした。

まとめ:送別会がなくても清々しかった理由
送別会がなかったことへの怒りは本物でした。
でも清々しかった理由も本物でした。
居場所はすでにあった。
数字という根拠があった。
会社という重しが取れた。
「認められなかった」という悔しさと、「もういい」という解放感が、同時にそこにありました。
次の記事では、FIREして気づいた「お金では買えなかった2つのもの」をお伝えします。
対等な人間関係と、選んで動く時間——その話です。

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