FIREを私が決めた本当の理由|辞令が降ってきた日【前編】

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FIREを私が決めた本当の理由【前編】|辞令が降ってきた日——窓際21年・53歳の決断

こんにちは、前田嘉一です。

2022年7月、会社から突然の辞令が出ました。

単身赴任の支店長代理への異例の抜擢でした。21年間窓際族だった私に、です。

普通なら大喜びするはずの辞令でした。でも私が最初に感じたのは、「大切な場所がなくなってしまう」という焦りでした。

この記事では、私がFIREを決断した本当の理由——お金ではなく、「居場所」を守るために会社を辞めた話をお伝えします。


53歳・窓際族21年——「あとは時計がゼロになればいい」と思っていた

空気のような存在だった

私は21年間、窓際族でした。

9時から17時、これといった仕事はありません。同期にも後輩にも追い抜かれ、上司は年下でした。

会社では空気のような存在で、誰も相手にしてくれません。大事な仕事もありません。

頭を使わず自分のペースでいられるので、私もそのほうが心地よいと思うようになっていました。

53歳のとき、私はこう思っていました。

「このまま静かに定年まで終わってゲームセットになる。バスケットボールの終盤みたいに、あとは時計がゼロになればいいだけだ」

逆転勝ちを狙うことも、もがくことも、したくありませんでした。

それでも「断れる」選択肢が私にはあった

そこに突然、辞令が来ました。

普通なら断れません。

でも私には断れる選択肢がありました。

ひとつは「資産2億円」

サラリーマンが手取りで一生稼ぐ分が、すでに手元にありました。

もうひとつは「スポーツコーチとしての居場所」

こちらが実は、より大きな理由でした。


退職日の朝——自分でカーテンを開けた

退職日の話を先にお伝えします。

目覚ましをセットしなかった夜

退職日は2022年11月12日

その夜、あえて目覚ましをセットせずに寝ました。

自由になったのだから、何にも縛られたくない。

好きな時間に起きる——当たり前のことでした。

でもいつもの7時に目が覚めました。

身体が覚えているのです。

何年ぶりかの太陽

何年かぶりに、自分で寝室のカーテンを開けました。

毎朝バタバタと出勤の支度をしていたので、カーテンを触ったこともありませんでした。

この日は快晴でした。

いきなりの太陽の光が目に入りました。

驚いて、眩しくて目がくらみました。

朝に太陽を直視するなんて、何十年ぶりかもしれません。

食事して、太陽の光を浴びに近所に散歩に出ました。

太陽の光が、気持ちよくてありがたいのです。

夕方も散歩に出ました。

夕陽も綺麗で有難い。

太陽なんて、他の人には当たり前かもしれません。

でも私はFIREして最初に、近所の太陽でもありがたくて綺麗なことがわかりました。

それから4年、今も毎日1万歩の散歩を続けています。

「近所を太陽の光を浴びて歩きたい」

——21年間、窓際族という暗くジメジメとした場所にいて、そこから解放された思いがありました。

自由を得てやりたかったのが、地元の散歩だと知り、拍子抜けしました。


スポーツコーチという「居場所」が先にあった

窓際族だったから、コーチになれた

2010年、息子3人が近所の地域スポーツチームに入りました。

強豪チームではなく、スポーツを楽しむ育成型のチーム。

コーチは父兄が多く、全員ボランティアでした。

毎週暇で最初から最後まで見学に行っていたら、いつの間にか夫婦ともコーチに誘われました。

節約も兼ねて、休日のレジャーがここになりました。

平日は運動不足解消、休日の暇つぶし解消、レジャーにお金も使わない節約——一石三鳥で軽い気持ちで引き受けました。

会社のスーツは全然新調しないのに、練習ジャージだけは高級なスポーツブランドで上下新調したのを覚えています。

格好だけでも馬鹿にされたくなかったのです。

いつの間にか「○○くんのお父さん」から「○○コーチ」になりました。

役職がついたので、鼻高々でした。

子供たちの眼が、10年間失っていたものを返してくれた

コーチになって最初のあいさつで、びっくりしたことがありました。

子供たち15人ほどが輪になって、「私の眼を見て」話を聞くのです

純粋な眼で、すべて記憶しようとするように、眼から脳まで直結しているようでした。

ハッとさせられました。

ここは会社とは違う場所だと。

でも私は、眼を見て話せませんでした。

真剣な眼の威圧感と、コーチとしての自信のなさ。

そして眼を見て話す習慣を、10年間で忘れていたのです。

こんな私でも、子供たちは最初から信用して受け入れてくれました。

15人の子供たちが輪になって私を見ていた。

その眼は、会社で10年間一度も向けられなかったものでした。

信用している眼、でした。

自分で自分を卑下していた意識が、一発で変わりました。

彼らは本気でした。それに答えなければ失礼に当たると思いました。

人間関係の原点に、やっと戻れた気がしました。

投資も、子育ても、一人で抱えていた苦しさ

このころ、2001年から窓際族になって約10年が経っていました

会社で話すこともなく、話しても眼を合わせず、相槌のような会話だけ。

窓際族との接し方はそういうものでした。

いつの間にか純粋な眼で相手を見て話すことを、忘れていました。

投資も2001年から本格的に始めて10年、鳴かず飛ばずでした。

リーマンショックの損失はリカバリーできないまま。

バリュー投資の本の通りにやっているのに成果が出ない。

子供が大きくなってお金がかかるようになり、節約生活にも限界を感じていました。

特につらかったのは、任天堂の株主なのに、任天堂のゲーム機を買わないということでした。

子供が「みんなが持っている」と言う。

「今は我慢すれば将来もっといいものが買える」という投資本の知識を言い訳にして、自分を納得させていく。

本当にこれで良かったのか。そのグルグルが嫌でした。

最終的には、任天堂の配当金を子供と一緒に郵便局に受け取りに行き、その足でゲーム機とソフトを買いました。

年2回の贅沢でした。

このころが、投資家を辞めようかどうか、一番不安な時期でした。

窓際21年があったから、コーチ12年があった

2001年から2022年の退職まで、窓際族21年間。うち2010年からスポーツコーチ12年。

窓際族の21年間があったからこそ、コーチとしての12年間がありました。

時間があったから見学に行けた。暇だったからコーチになれた。

窓際という「失敗」が、この居場所を作っていました。

子供たちが信じてくれて、眼を合わせて向き合える場所。

一緒に成長したいと感じられる場所。それがここでした。


辞令が降ってきた日——「会社のためにガマンしよう」がグルグル回った

異例の抜擢に、素直に喜べなかった理由

2022年7月、その辞令が来ました。

支店長代理から年功序列で出世し、ゆくゆくは65歳の定年時に子会社社長含みというキャリアでした。

妻を呼び寄せてもいいが、その地方に12年は住み続ける条件でした。

2001年のうつ病から20年続いた窓際族を卒業できると、心が躍りました。

子会社社長で定年を迎えるなら、会社員生活の帳尻が合ったと思いました。

でも反面、どこかにワナがあると感じました。

辞令の前に家庭事情も確認せず、いきなり出してくる会社への違和感。

かつて窓際族で地方勤務をしたとき、本社から離れた場所でパワハラを受けた記憶。

今の本社勤務では周りの目があるのでまだ楽でしたが、地方に行けばまた始まるかもしれない。

そしてまたうつ病になってしまうかもしれないという恐怖。

人事担当に詳しく聞くと、休日が土日に固定されないとのことでした。

「そんな小さいことは問題ない、完全週休2日は間違いない」と笑顔で言われました。

「会社のためにガマンしろ」という口調が透けて見えました。

この「会社のためにガマンする」ということを「自分に言い聞かせよう、言い聞かせよう」として、帰宅する電車の中で何度もグルグルと考え続けました。

電車が地下に入った瞬間——「もういい」が降ってきた

でも私には、断れる選択肢がありました。

「資産2億円」

東京エレクトロンの株価は10倍になり、サラリーマンが手取りで一生稼ぐ分が手元にありました。

「もう働かなくていいのでは」——突然ひらめきました。

朝の通勤途中、電車が地上から地下に入った瞬間でした。

自然の光が消え、蛍光灯だけになる。

いつも出勤の憂鬱を感じる場所でした。

でもこの日は違いました。

まわりの音がすべて消えました。

メッセージが頭から身体の中心部にずしんと入りました。

巨大なコンクリートブロックのような看板、その文字は「もういい」。

それが衝撃的に体の中心に落ちてきました。

その瞬間、21年間分の何かが溶けた気がしました。吹っ切れたのです。

今でもそのシーンは鮮明に覚えています。

グレーの景色を、別の場所で描きたかった

私の職場の机のまわりは色のないグレーの景色で、輪郭は薄い線でした。

記憶に残らない。

いや、自分からわざと残そうとしていませんでした。

新しい赴任地でそのグレーをきれいな色に塗り替えていく——それが私にはできませんでした。

やれない、やりたくない。

でも「会社のためにガマンしよう」と言い聞かせることが、グルグル回っていたのです。

本当に、きれいな色と太い線を描きたい場所は、地域のスポーツチームでした。すでに12年間のコーチ生活でした。

試合のハーフタイムで、真剣な目の子供たちに何を声かけるか考える。

負けてくやしがるチームを励ます。

保護者とチームについて熱く語る。

週末の最高の居場所でした。

コーチ初心者だったころの卒業生たちも、立派に育っていました。

生徒や保護者から感謝される。

ボランティアでも、窓際族の会社員でも、信頼されて感謝される喜びがありました。

そこには会社の姿も、窓際族21年も、関係ありませんでした。


「もう働かない」と決めた日

うつ病になる兆候が出ていた

私は2001年にうつ病になっています。

だからどうなったらうつ病になるか、わかります。

自分の意志と違うこと、「やらねばならない」「やりたくない」でグルグル回り続けたとき。

それが回りすぎてパニックになり、やがて扇風機の電源が抜けて羽が静かに止まるように「うつ病」になるのです。

ちょうどその兆候が出ていました。

一度うつ病になると、また次にうつ病になるのが怖い。

一日がとてつもなく早く過ぎ、虫歯の詰め物が次々と外れていくような感覚が怖い。いつ治るかわからない。

治るのは、パッとひらめいた瞬間です。

電気の稲妻が光って、スイッチがカチンと入るとき。

かつて「金持ち父さん貧乏父さん」を読んでお金持ちになる方法がわかったときのように。

電車が地下に入った瞬間の「もういい」が、そのひらめきでした。

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子供たちの眼を裏切れなかった

「もう働かない」——決めました。

コーチ初日のあいさつで、しっかりと私の眼を見てくれた子供たちを裏切ることはできませんでした。

地域のスポーツチームを捨てることはできませんでした。

自分の気持ちに正直になりました。

「会社を退職する」と決めました。

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妻に打ち明けた夜——「今まで通りの生活ができれば何でも構わない」

辞令のこと、出世のこと、単身赴任のこと、退職のこと——すべて妻には黙っていました。

お金のことやライフプランについて妻はずっと無関心で、「お金は汚い」という環境で育ってきており、話すと耳をふさいでしまいます。

リビングにきちんと座って、辞令から退職まで筋を立てて話しました。

ライフプランについてきちんと妻と話したのは、一番下の子供が生まれたとき以来だと思います。

妻は話を聞いてくれました。

でもどこか他人事で、うわの空でした。

そして一言。

「今まで通りの生活ができれば何でも構わない」

本音は、妻に怒ってほしかったのです。

怒ってくれれば、私も窓際族で投資家になって21年間一人で背負ってきたプレッシャーを初めて言葉にできました。

でも妻は怒りませんでした。

「今まで通りの生活ができれば何でも構わない」。

その一言が、21年間の孤独をそのまま肯定した言葉のように聞こえて、寂しかった。

これからもお金のこととライフプランは、自分一人が背負うことが確定した虚しさだけが、リビングに残りました。

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2億円あっても不安だった——それでもFIREした本当の理由

理論上はFIREできていました。

当時の生活費は年300万円。配当がゼロでも66年生きられます。

年金をもらえる65歳までの12年間なら、年1,600万円使っても大丈夫な計算でした。

でも安心はできませんでした。

お金があるだけで、何をしていいかわからない。

人間としての価値がなくなるのではないかという不安。

インフレで資産が溶けていくのではないかという恐怖。

周りにFIREしている人がいない孤独。

準備が整っていないという焦り。

それでもFIREした理由は一つです。

「子供たちへの感謝」と「スポーツチームでの居場所」

——お金では買えない価値を捨てなかった「誇り」が、不安を上回っていたからです。

私はFIREを目標に、準備万端で退職した訳ではありません。

不安だらけでした。

でも、お金では買えない「誇り」を守るためだけにFIREしたのです。

妻とはFIRE後の現在も、お金の話はしません。

でも、夫婦ともコーチをしているスポーツチームのことや、地元地域の問題、息子のことでよく話します。

会社という重しが取れて軽くなったのと、地域という共通の話題が増え、話す時間が格段に多くなりました。

夫婦関係に、FIREは正解でした。


まとめ:お金ではなく、居場所を守るためにFIREした

私がFIREを決めた本当の理由は、資産2億円でも、自由な時間でもありませんでした。

スポーツコーチとしての居場所を守るため。

そして、子供たちの純粋な眼を裏切らないため。

21年間で唯一、本物の人間関係を感じられた場所を、手放したくなかったから。

「電車が地下に入った瞬間」に降ってきた「もういい」という言葉は、お金が生み出したものではありませんでした。

12年間積み上げてきた居場所が、私に決断させてくれたのです。

次の記事では、退職日に送別会がなかった話と、会社が消滅するまでをお伝えします。→こちら

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FIREを決めた理由、やりたい理由、そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。

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コメント

  1. ようた より:

    誇りを守る決断は、人生の真の豊かさを問いかけます。

    会社という枠を超えた人間関係の大切さが伝わってくる、心に残る物語でした。