マイホームより株に1,000万円を突っ込んだ理由【後編】|震えが止まらなかった、あの夏の決断
こんにちは、前田嘉一です。
前編では、32歳でうつ病になった療養中に「金持ち父さん貧乏父さん」と出会い、「家は負債だ」と知った話をお伝えしました。
この記事では、その続きをお話しします。
「知った」だけでは終わりません。実際に動かなければならない。
32年間の夢だったマイホームを諦め、住宅債券を解約し、1,000万円を株に突っ込むまでの話です。
心の中で「震え」が止まらなかった、あの夏の日のことを正直にお伝えします。
10年分の夢が入った「2冊の紙券」
当時はペーパーレスの時代ではなく、住宅債券は紙の券でした。
銀行がくれた厚さ1センチほどのA5かB4サイズの入れ物に、仰々しく保管してありました。それが2冊。
私にとって誇らしいものでした。
10年かけてボーナスを一円も使わず積み上げてきた証でした。
「金持ち父さん貧乏父さん」を読んで、開き直りました。
そのうちの1冊を、2002年夏に解約しに行くことにしました。
突然、銀行に解約しに行った日——「震え」を無理やり抑え込んで
連絡せずに突然行った理由
解約する日付は覚えていませんが、すごく暑い日でした。
住宅債券の取り扱いは大きな銀行の本店や主要店に限られていたため、暑い中、地下鉄でわざわざ出向きました。
ハンコと入金用の通帳を持ち、事前連絡なしに突然行きました。
なぜ突然だったのか。
担当の営業マンに出迎えられ、解約を引き止められるのが嫌だったのです。
後ろ髪を引かれたくなかった。
「マイホームではなく株を持つ」という決断に、自信はありませんでした。
でも決めた。説得されてブレたくなかった。
それが私なりの強がりでした。
「もし失敗したら人生終了」という重圧の中で
結局、心配していた営業マンは不在で安心しました。
引き止めもありませんでした。
住宅購入に使えば利子が無税、他に使えば有税になりますが、無税のままで払い戻しされ、確定申告で対応することになりました。
翌年2月の確定申告には苦労したことを覚えています。
通帳にお金が増えたことを、ただの数字として心に言い聞かせていました。
そうしないと後悔するとわかっていたからです。
「家を買うのをやめて株を買う」「もし失敗したら人生終了」。
その重圧の中で、心の中の「震え」が止まらなかったのを無理やり抑え込んでいました。
そんな熱い夏の日でした。
妻には一言も相談しなかった——一人で背負ってきた重圧
「お金の話はするな」という家庭で育った妻
この決断は、私一人で下しました。
妻には相談していません。
妻は「お金の話はするな」という家庭で育っており、「お金は汚い」という感覚があります。
お金の話をすると耳をふさいで動きが止まり、何もできなくなってしまうのです。
病気になってもらうのも嫌なので、すべて私一人で決めてきました。
「必ず勝たなければならない」というプレッシャー
正直に言うと、家族の大事なライフプランを一人で決め続けることは、ものすごい苦痛とプレッシャーです。
負ければ、妻も子供も道連れにして、何も知らないままどん底の人生を歩むことになります。
子供の頃、何も知らない子供が夜逃げしていくのを何度も見てきました。
だから、防衛資金として3年分の生活費は現金で絶対に残しています。
これに手をつけたら終わりだと知っているからです。
ただ冷静に考えると、ローンで家を買うことへの執着は私の夢だけで、妻はそれほどの夢ではなかったかもしれません。
家を買うことにそれほど積極的でなく、物欲も執着もなかったのです。

自社株「マイナス80%」——それでも清々しかった理由
5年間、家の中で「ただの厚い紙」だった株券
実は、自宅に自社株の株券が眠っていました。
1997年に持株会を退会したとき、総務部員が大きい金庫から株券を引っ張り出してきて「証券会社の窓口で名義変更してから売ってください」と言われました。
封筒もなく、そのままの状態で渡されました。
ごく事務的な対応でした。会社のファンが一人減るのに、引き止めもない。
時価は200万円ほどでした。でも証券口座を開くだけで年間2,500円の維持費がかかる時代でした。
配当もなく、優待も自社製品で必要なかった。
1997年から2002年まで、この株券は自宅で「ただの厚い紙」として5年間眠っていました。
2002年、口座維持費が無料になった
2002年に口座維持費用が無料になり始めました。
ネット証券がこれを武器に宣伝していましたが、株がわからない私には店舗の担当者に教えてほしいという気持ちの方が強かった。
結局、毎月5,000円だけ投資信託を積み立てていた証券会社に口座を開きました。
勤務先の近くに支店があったからです。
窓口で「この株を売りたい」と言った日
2002年夏、株券を持って証券会社の窓口に行きました。
いきなり「この株を売りたい」と伝えると、受付の女性は「ぽかん」とした表情でした。
彼女は初めて紙の株券に触れたようでした。
それでも、わずかながら取引実績があったため客扱いしてもらえました。
以前の担当者はすでに退職していて、この入社3年目の女性が担当になりました。
吹奏楽部出身の、ごく普通の方でした。
話をしていくうち、「ノルマはあるが歩合給ではない」とのことでした。
押しの強い営業をしないだろうと感じ、とっても安心しました。
証券会社の営業マンとうまく付き合えるかどうか。貧乏人は相手にしてくれるかどうか。ここだけはすごく不安でした。
この女性が口座開設と名義変更の書類を用意してくれ、会社にも購入時期・株数を確認してくれました。
そのまま自社株をすべて処分しました。
初めての売買が「マイナス480万円」
口座に残ったのは120万円でした。
初任給から積み上げてきた自社株600万円が、120万円になりました。
初めての売買がマイナス480万円。マイナス80%です。
これだけの損失があれば、もう二度と株はやらないと思うはずです。
でも私は、清々しかったのを覚えています。
損よりも「株が始められる」という気持ち、未来への期待。
株で生きる覚悟が出来た瞬間でした。
不思議と不安も怖さもありませんでした。
勤務先と少しだけの決別に強がっていました。
「窓際族」だったから、できた株の勉強
毎日かかってくる営業電話が、むしろ楽しかった
証券口座にお金が入ると、担当の女性から毎日携帯電話に連絡が来るようになりました。
「○○株がいくら」「証券新聞に○○ニュースが出ていた」など。
ネットがまだ発達していない時代、これが営業スタイルでした。
私は自費で携帯電話を持っていて、窓際族で仕事もなかったため、いつも電話に出られました。
早く帰宅できるので日経新聞を毎日隅々まで読め、株の勉強もできました。
会社で話し相手のいなかった私にとって、この営業電話はとても楽しいものでした。
でも担当の女性にとっては、注文を取ることが目的でした。
まったりとした営業トークが続きました。
人生初の株注文——「サカタのタネ」を恐る恐る買った日
初めて注文を出したのは、2002年8月18日。
銘柄は「サカタのタネ」。1,475円で100株、手数料2,625円でした。
独学で株の勉強を始めてから半年ほど経っていました。
利益剰余金やPBRを見て、割安で不人気だと判断して注文しました。
実はバリュー投資で欲しい銘柄は他にありましたが、営業担当に小馬鹿にされるのが嫌で、手堅い「サカタのタネ」にしました。
「この株が下がったら、自分の判断が間違っていたことになる。ゼロになれば家族を路頭に迷わせる。バカと言われる。」
恐る恐るの最初の一歩でした。
失敗はできない、でも成功する確信もない。
注文する銘柄を、営業担当がどう思うか顔色を伺いながら出す時代でした。
でも今思えば、じっくりゆっくり取り組めたことはありがたかったと思います。
この株は今でも持ってます。
1,000万円を「少しずつ」株に移した理由
証券口座には120万円だけ入っていました。
その他には住宅債券の残り1冊440万円、銀行口座に解約した440万円、防衛資金500万円。合わせて約1,380万円がありました。
私はすでに、この中から1,000万円を株式投資に使うと決めていました。
でも自信がなかったので、恐々と少しずつ証券口座に移すことにしました。
もしすべて一度に移していたら、押しの強い剛腕な営業担当に当たって、次々と注文を出していたかもしれません。
当時の証券会社は、注文を取ることがすべてでした。
恐々と少しずつ動いたことが、結果的に守りになりました。

あの決断は正しかったのか——今でもわからない
私が生まれてから32年間目標にしてきた「お金持ちの定義」が、一冊の本で180度変わりました。
家を買うことを後回しにして、株を優先しました。
本当のお金持ちになるルールを知ったからです。
でも、ローンで買った3,000万円の新築マンションの「対面キッチン」。
レバーを倒すだけで湯水が出る蛇口。それを得意げに話す友人夫婦。
羨ましそうにうなずく妻。
あの決断が正しかったかどうか、今でもわかりません。
でも、結果はこうなりました。
- 46歳:資産1億円
- 53歳:資産2億円、早期退職(FIRE)
- 2026年現在:資産3.1億円
もし、あのとき家を買っていたら、今ごろローンを払い続けていたでしょう。
どちらが正解かは、人それぞれだと思っています。
ただ私は、お金を生み出す「資産」を選びました。


まとめ:震えながら下した決断が、人生を変えた
振り返ると、あの夏の決断は「勇気」ではありませんでした。
自信はなかった。震えていた。妻にも言えなかった。営業担当の顔色を伺いながら注文を出した。
それでも動いた。それだけでした。
完璧な準備も、完璧な確信も必要ありませんでした。
「なんかできそう」という感覚と、「このままでは終わりたくない」という気持ちだけで、あの一歩を踏み出せました。
もしあなたが今、最初の一歩を踏み出せずにいるなら、伝えたいことがあります。
「震えたままでいい。それでも、動けば変わる」。
マイホームより株に1000万突っ込んだ訳|負債と知った日|前編 →こちら

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