マイホームより株に1000万突っ込んだ訳|負債と知った日|前編

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マイホームより株式投資に1,000万円を突っ込んだ理由【前編】|32歳・家は負債と知った日

こんにちは、前田嘉一です。

32歳のとき、私は1,000万円を持っていました。10年かけて天引きで積み上げたお金です。

普通ならば、ここでマイホームを買うはずです。私もそのつもりでした。でも、買いませんでした。

一冊の本が、私の「お金持ちの定義」を180度変えてしまったからです。

この記事では、私がマイホームを諦めて株式投資を選んだ理由——その転換点となった体験をお話しします。(前後半の前編です)


10年かけて積み上げた「住宅債券」が満期になった日

ボーナスを一円も使わず積み続けた10年間

30歳を過ぎて、2回目の住宅債券(名称「つみたてくん」)が満期になりました。

夏冬のボーナス時期に40万円ずつ、11回。これを2回繰り返し、総額880万円になりました。

住宅購入であれば、この債券を頭金にして最高10倍までの融資が受けられます。

つまり、8,800万円の家が買えるという計算でした。国が認めた信用枠としては最高のものでした。

積み立ての原資はボーナスです。

でも、勤務先もバブル崩壊でデフレに入り、ボーナスは少しずつ減っていきました。

だからボーナスは一切使わず、財形貯蓄も崩して補填しながら、最優先で40万円を作り続けました。本当にやっとの思いでした。

でも私には、この8,800万円の家が一番の目標でした。

それだけに執着し、集中してきました。

「お金持ちになれる、周りを圧倒できる」。その嬉しさは格別でした。

東大阪の長屋育ちが「郊外の邸宅」を夢見た理由

「豪華な郊外の一戸建てに住む」——これが、私がイメージする成功した大人の象徴でした。

子供の頃は、1階が工場、2階が住居の長屋が連なる東大阪の街に住んでいました。

ガチャン、ガチャンとうるさく、道には機械油が染みつき、金属片が転がっている。

大人たちは工場の売り上げのことで酒を煽りながらグチを言い合っている。

そんな街で育った子供が、上場プライム企業の社員となって郊外の邸宅に住む。

これは十分すぎるほどの成功の証だと思っていました。

当時の仲間や近所のお父さんたちを、心の中で小馬鹿にしていたほどです。

「特上の顧客」として大手不動産に迎えられる日を夢見ていた

私が狙っていた邸宅は、チラシや駅のパンフレットには出てきません

大手不動産や信託銀行が認めた上客にしか案内しない物件です。

担当者が腰を低くしてすすめてくる。

応接室でパンフレットを眺める。

デフレの時代にやってきた特上の顧客——それが私の評価でした。

天狗になっていました。

ペコペコ頭を下げてくるセールスマンを心の中で小馬鹿にしていました。

あとはローンを組むだけそう思っていました。


みんなが家を買っていた時代——「対面キッチン」が自慢だった頃

3,000万円のマンションが「一人前の証」だった

当時は国策で住宅普及に力を入れていました。

3,000万円くらいのマンションなら比較的簡単に買える時代でした。

周りでは、結婚や出産を機に郊外の新築マンションを買い、お披露目会を開く友人が増えていきました。

部屋の一つひとつを自慢する姿。

マイホームを持つことが「一人前の大人になった証」として評価される時代でした。

私にも焦りがありました。

その反面、「3,000万くらいの家なら、いつでも買ったる」「自分が狙うのはもっと高い家だ」という、小馬鹿にした意地がありました

「対面キッチン」に羨ましそうにうなずく妻の顔

妻の友人たちからのお披露目会によく誘われました。

自慢のタネはいつも「対面キッチン」でした。

リビングキッチンで子供を見ながら炊事できるキッチン。

レバーを上げるだけで湯水が出る蛇口

当時私たちが住んでいた社宅は、壁を見ながらの台所にハンドル式の蛇口でした。

対面キッチンの話を聞きながら、羨ましそうにうなずいている妻の顔を今でも忘れません。

欲しかったのか、相槌だったのか。

私の邸宅プランには、それを見返すほど豪華なシステムキッチンと、レバー式の蛇口を入れていました。

ここだけはこだわっていました。

「勝ち確定」のはずだった

8,800万円の融資枠上場プライム企業の正社員毎月10万円を払えるローン耐性

頭の中では、周りを逆転できる「勝ち確定」の状態でした。

妻と一緒に行う邸宅のお披露目会を想像しながら、豪華なパンフレットを見てウキウキしていました。

でも、そうは上手くいきませんでした。

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32歳でうつ病——「扇風機の羽が止まる」ように倒れた日

猛烈社員の末路

バブル崩壊のデフレで会社の業績が悪化し、私は猛烈社員になって必死で頑張りました。

そして、当時普及し始めた携帯電話を自費で購入し、24時間どぶ板営業を続けました。

けれども、周りとの意識の差や方向性の違いから孤立していきました。

さらに、追い打ちをかけるように、ボーナスカット、給与カット。

そして極め付けは、週刊誌や夕刊紙の「倒産危険度ランキング」に勤務先の名前が出たことです。

自社株の時価も5分の1になり、倒産と株が紙切れになる可能性が現実味を帯びてきました。

「自分はこんなに頑張っているのに」という悔しさがありました。

周りが仕事していないから、こんな記事が出るのだと思っていました。

でも、一人では無理でした。

32歳のとき、体が動かなくなりました。

強制ストップでした。スーと落ちていったのだけが記憶に残っています。

扇風機の電源が抜けて、羽が静かに止まっていく感じでした。

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療養中に手に取った一冊の本

療養中、読書だけはできました。

歴史小説、スポーツ列伝、ビジネス書、英雄ヒーロー物。強いメンターに憧れていました。

そのとき手に取ったのが、R・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」でした。

最初は「また読まされる」という感じでした。

本が分厚く、字が細い。うつ病が再発しそうで怖かった。

それに「金持ち父さん・貧乏父さんの定義くらい、読まなくてもわかる」と思っていました。

評価はゼロ

でも時間だけは有り余っていたので、本当の「暇つぶし」のつもりでした。

私の当時の「お金持ちの定義」は、「大企業勤務」「郊外の一戸建て」「高級車所有」「ブランド品で着飾る」「高級レストランやホテルで食事」でした。

どうせそんなものの買い方が書いてあるだけだろうと、小馬鹿にしながら読み始めました。


「金持ち父さん貧乏父さん」が全てを変えた衝撃の一文

私が「貧乏父さん」だった

「金持ち父さん貧乏父さん」は衝撃でした。

私のような大企業のサラリーマンが、主人公の一人「貧乏父さん」そのものだったからです。

「そんな訳ない、嘘だ、何を書いているんだ」という否定から始まり、気づけばすっかりこの本の虜になっていました。

「資産」と「負債」の本当の意味を初めて知った

特に衝撃だったのが、「資産」と「負債」の説明でした。

恥ずかしながら、それまで「資産」と「負債」という言葉は知っていましたが、具体的にどういうものかは理解していませんでした。そんなものはどうでもいいとすら思っていました。

本にはこう書かれていました。

「資産」は私のポケットにお金を入れてくれるもの

「負債」はポケットからお金を奪っていくもの。

本当のお金持ちは、資産をたくさん持つことにフォーカスしているから、ますますお金持ちになる——と。

頭から足の先まで、衝撃が走りました。

「お金持ちになる方法」が書かれた本に、初めて出会った瞬間でした。

そして私が「お金持ち」だと思い込んでいた周りの人たちとは、100%違う考え方がそこにありました。


「家は資産か負債か」——32年間の夢が崩れた瞬間

一番衝撃だったのは「持ち家」の話

一番衝撃だったのは「持ち家」についての記述でした

私が欲しかった「郊外の一戸建て」。

はっきり言って、これはポケットからお金を奪うだけ奪って、ポケットにお金を入れてくれないものでした。

「お金を奪う」という部分は、家族の笑顔と思えば慰めることができるとも感じました。

でも「お金を入れてくれない」という部分の衝撃は大きかった。

そして、お金持ちになるルールに反することをしようとしていた。

だから私はずっと貧乏のままで固定される。

実は「勝ち確定」だと思っていたことが「貧乏確定」だった——。

「私は貧乏人」「一生貧乏なまま」という烙印を押されたような絶望感がありました。

そして今まで踊らされていたことへの悔しさ。

さらに、これから何を信じて、誰を目標にすればいいのかという恐怖。

友人も、同期も、上司も、私自身も、全員が同じ「かわいそうな人」に見えました。

「本当のことは何だろう」という混乱の中で

周りの友人たちがローンで3,000万円のマンションを買って笑顔でいる

でも本によれば、それは「負債を買った失敗」だという。

あの笑顔は失敗だったのか——

今まで信じてきた「成功」の崩壊。

そして完全な正解はわからない。

そんな中で、かろうじて「まだ家を買っていない自分」だけが、首の皮一枚で残っていました。

でもわかったことがあります。

本当のお金持ちには「金持ちになるルール」があるということ。

そしてそのルールを私はまだ知らないだけで、図書館にはそういう本がある。

「なんかできそう」

すぐにゲームチェンジしなければと思いました。

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まとめ:32年間の「お金持ちの定義」が180度変わった

入社から10年間、私は「郊外の邸宅に住むこと」を唯一の目標にして、ボーナスを一切使わず積み上げてきました。

でも32歳でうつ病になり、療養中に読んだ一冊の本が、その定義を根底から覆しました。

資産はポケットにお金を入れてくれるもの。負債はお金を奪うもの」。

家はお金を生み出さない。

株は条件次第でお金を生み出す可能性がある——。

この気づきが、その後の私の人生を変えることになります。

次の記事では、実際に住宅債券を解約し、1,000万円を株に突っ込んだ日の話をお伝えします。

震えが止まらなかった、あの夏の日のことを。


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窓際21年・資産3.7億円
挫折と再起を経てFIREを達成した一人の軌跡。投資、キャリア、自分軸の確立までの実話を通して、次世代に希望を届けます。

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