リーマンショックで私が犯した3つのミス|それでも握り続けた理由と、資産3億円への教訓
こんにちは、前田嘉一です。
まず、ウォーレン・バフェットの言葉をご紹介します。
「潮が引いて初めて、誰が裸で泳いでいたか分かる」
2002年に個別株を買い始めてから、この言葉をずっと心に刻んできました。
市場が好調なときは実力も失敗も隠れてしまう。
でも暴落という危機のときに初めて、本当の強者と、無理をしていた弱者が判別できる——そういう意味の言葉です。
2008年のリーマンショック。
私はこのとき、3つのミスを犯しました。
成功した話ではありません。失敗した話です。
恥ずかしいことも含めて、正直に書きます。
ミス①:暴落の準備がゼロだった——「何もしない」という最も苦しい選択
リーマン破綻の噂は知っていた。でも準備しなかった
2008年のお盆過ぎ、リーマン・ブラザーズが破産するという噂は、投資初心者の私でも耳にしていました。
株価が下がるかもしれないとも、なんとなく予想はついていました。
でも、噂を気にしすぎてうつ病になるのが嫌で、売買を手控えていました。
そして2008年9月、連休中にリーマン・ブラザーズが破産申請のニュースが出ました。
連休明けの日経平均は、破産申請前の12,214円から5%強下落しました。
手控えていたので、最初の感想は「大きく下がったな」というだけでした。
何も知らないので、正直、脳天気でした。
リーマンショック、初めての暴落——5つの恐怖が同時に襲ってきた
さらにそこから、ニュースやSNSで「次にリーマンのように破産するのは2〜3社あり、可能性が高い」という噂が出始めました。
ここで怖さが一気に増していきました。
実は、暴落というものを経験したことがなかったのです。
- 持ち株の時価が下がっていく恐怖
- どんなことになるかわからない恐怖
- 何をすればいいかわからない恐怖
- もう終わりかもしれないというパニックの恐怖
- またうつ病になってしまう恐怖
リーマンショック8〜9月は、初めて味わう恐怖でした。
私は相場から逃げてしまいました。
情報を遮断して、心の休息を取りました。
心身的には正解だったと思います。
でも「何もしない」という選択は、想像以上に苦痛でした。
結果オーライの幸運と、残った大きな後悔
幸運だったのは、10〜11月にかけて日経平均がさらに下がり続けたことです。
もし9月の時点で「安ければ買い」という単純な思い込みだけで逆張りを始めていたら、「バリュートラップ」にはまり、生活費まで突っ込んで資金ショートしていたかもしれません。
でも、これは運が良かっただけで、私の判断が正しかったわけではありません。
暴落時の「買いシミュレーション」も、「資金管理」の計画も、当時の私には全くありませんでした。
結果オーライでしたが、暴落への準備を怠ったこと自体は、投資家としての大きなミスでした。
この失敗から作ったルール
この経験から、私は「暴落シミュレーション」を事前に作るようにしました。
「日経平均が30%下がったとき、自分はいくら使えるか」を、相場が穏やかなときに決めておくことです。
準備のない逆張りは、ただのギャンブルだと知ったからです。
また、この時期に気づいたことがあります。
「何もしない(相場から逃げる)」ということは、実は最も忍耐を要する行動でした。
ニュースを見ないようにしていても、街の人の会話や新聞で「株価」という単語を避けながら、怖いもの見たさでいる自分が嫌でした。
10月からは、いつの間にか相場に戻っていました。
ミス②:「もっと買えたのに」——恐怖で半分しか動けなかった
全員が「売り」を叫んでいた10月
リーマン破綻から連鎖的に何が起こるかわからない。
経験も対処法もない。
パニックになる、ひどくなるとうつ病になる。
恐怖心に怯えた10月でした。
毎日のように株価は下がっていきました。
SNSでは「売り」「損切り」「○○さんが相場から退場した」という言葉しか見当たりませんでした。
まさにバフェットの格言通り。潮がどこまで引くかわからない状況でした。
「信じられない」——ピカピカの会社が半値以下になっていた
ある日、ポートフォリオを開くと、「東京エレクトロン」と「TDK」の株価が1/2〜1/3になっていました。
日経平均の下落率よりはるかに大きい下落です。
この2社は、ハイテクという成長性、高い国際シェア、値引きなしのビジネス構造、優れた財務状態——私の勤務先とは真逆の、いわば「ピカピカ」の会社でした。
それが破格の値段になっていたのです。
ワクワクというより「信じられない」という感覚の方が強かったです。
「この2社が倒産するなら、勤務先なんてとっくに倒産している」とわかっていました。
でも動けませんでした。
タコつぼに入って顔を出し、目と耳だけを動かしている感じでした。
完全に評論家でした。
「買えないほうが安心する価格」で注文を出す
でもある日、「潮が引くということは、次に潮が満ちてくる」と考えました。
何の根拠もありません。
ひらめきでした。
そこで、東京エレクトロンとTDKに「ストップ安の少し手前の安い価格」で、一単元ずつ買い注文を出してみました。
みんなの意見と反対のことをしているとわかっていました。
一人だけ別の意見を実行している孤独感がありました。
だから、極端に安い価格で注文を出す。
買えないほうが安心できる価格なのです。
それでも、買えるのです。
TDKで3回、東京エレクトロンで2回、村田製作所を1回。
10〜11月に買い増しを続け、12月3日に東京エレクトロンを770円で購入したのが、この一連の買い増しの最後の記憶となりました。
購入法はすべて「恐怖に震えながらのナンピン買い下げ」という手法でした。
リーマンショックでは10年かけて積み上げた500万円を、半分しか使えなかった
手元には株用資金として500万円ほどありました。
天引きで10年かけて積み上げたお金です。
そのすべてを使うことは、できませんでした。
安いとわかっている。買いたい。
でも、買えてしまう恐怖、買ってしまったという恐怖。
指が動かないのです。
苦労して貯めたお金だからこそ、損はしたくない。
そう考えると本当に動きません。
背中を押してくれるのは、バフェットの格言から感じた「いつか潮は満ちてくる」という根拠のない言葉だけ。
これが葛藤となって、頭の中をぐるぐる回り続けていました。
結果、総額300万円強を買いました。
株用資金の半分です。
残りの半分は、恐怖で手元に残しました。
リーマンショックから5年後の後悔
当時の私にとって、一度にこれだけの額を買ったことはありませんでした。
「勝負した」というより「恐怖に駆られて、やむを得ずやってしまった」というイメージでした。
しかし5年後、これが底値だったと知ったとき、私は「もっと買えていたのに」と深く後悔しました。
手元に残した半分の資金が、「恐怖で逃げた証」として、私の心に重くのしかかったのです。

ミス③:含み損と周囲の声に負けそうになった夜——「投げ売って自由になりたい」
眠れない夜が続いた、リーマンショック
リーマンショック後の10〜11月、保有株は28%下落しました。
他にも破綻するという噂が出続けていたためです。
特にテレビ朝日の「報道ステーション」の終わりのコーナーは、NYダウと始値のニュースでした。
暴落が起きていれば、キャスターがそれを煽ります。
そうなると、次はテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の右上に表示される米国株の動きを見続けました。
番組が終わっても、パソコンで株価の動きを見ながら、個人投資家のブログを読む。
株価は下げ続け、ブログも不安を煽るものばかり。
恐怖で眠れなくなるのです。
「貧乏人が大金を持っていていいはずがない」
そこには「貧乏人が大金を持ってしまった」ことへの罪悪感がありました。
自分の実力ではない、ただの運で得たお金だから、いつか「返さなければならない(没収される)」という予感。
周囲の成功者たちに対して「俺なんかが持っていていいはずがない」という自己嫌悪が、株価の下落を「罰」のように感じさせていました。
深夜に一人でいると、いろいろと考えてしまうのです。
本当に感じたのは、信頼できて親身に相談できる人が周りにいないということでした。
手本となる家族、投資家、資産家——そういう人がいれば、どれだけ楽だったか。
図書館の本や証券会社、新聞、ネットの情報から独学で知識を積み上げるしかできなかったことを悔やみました。
メンターがいない孤独です。
あの夜、私を踏みとどまらせたのは、一冊の本の中のバフェットの言葉だけでした。
それだけが、現実だったのです。
「投げ売って、自由になりたい」と思ったリーマンショックの夜
「株なんて自分の身分に合っていない。だから不要だ」。
すべて投げ売っても、損は200〜300万円で収まる。「いい夢を見られた」と考えて、まだやり直せると思いました。
でも、結局、損切りは一切しませんでした。
正直に言うと、できませんでした。
損を確定させるのが怖くて、画面を見ないことにしました。
売りのボタンを押せないのは、単に恐怖だからだけではありません。
「この会社の価値は下がっていない」という直感と、「売ったら、本当に二度と買えなくなるかもしれない」という感覚が、「売らない」という行動を固定化させていました。
ルールがあっても、リーマンショックでは揺らいだ
当時の私は「長期保有目的で株を買う、短期の株価は気にしない」というルールを一応決めていました。
でも、目の前の株価暴落の現実と、メディアやSNSの圧倒的な意見の前には、揺らいでしまいました。
ルールなんて、まったく関係なかったのです。
見ないようにするだけでも精一杯でした。
幸運なことに、そのとき売らずに持ち続けた「サカタのタネ」「キューピー」「ノリタケ」は、ハイテク株とは異なり生活に根ざした安定した企業だったため、暴落後も比較的安定して、後に3.5〜5倍に増えてくれました。
この失敗から学んだこと
わかったのは、私は売りが苦手で、損切りはもっと苦手だということです。今でもそうです。
だからこの経験を教訓に、株を注文するときには「いくらで買って、いくらで利益確定し、いくらで損切りするか」を事前にルールとして決めるようにしました。
利益額だけでなく、自分のルールを守れたかという規律も重視しています。
「見なければ、損は確定しない」。それが当時の私の唯一の防衛策でした。
画面から目を離すことで、「まだ戻ってくるかもしれない」という幻想を維持していたのです。
皮肉なことに、「見ないこと」が結果的に「売らないこと」を強制し、幸運な持ち越しにつながりました。
しかし、それは「勇気」ではなく「逃避」だったと、今では痛感しています。

まとめ:リーマンショック、それでも握り続けた本当の理由
3つのミスを振り返ると、共通していることがあります。
準備がなかった。恐怖で動けなかった。ルールがあっても揺らいだ。
では、なぜ握り続けられたのか。
リーマンショックのとき、私の勤務先の株価も下がり、上場来安値をつけました。
しかも収支構造は衰退する一方でした。
「会社からの給料」にはもう未来がない。
だから「株式投資」こそが、私の唯一の未来への希望だったのです。
株をすべて売ってしまうのは、「自分自身の未来を捨てる」ことと同じでした。
だから「売れなかった」のではなく、「未来を捨てる勇気がなかった」のです。
そして、バフェットの言葉だけが背中を押してくれました。「潮が引いた後、また潮は満ちてくる」と。
結果はこうなりました。
- 2017年:資産1億円
- 2022年:資産2億円、早期退職(FIRE)
- 2026年現在:資産3.1億円
リーマンショック3つのミスをした私でも、結果的にここまで来られました。
それは強かったからではありません。ただ、売らなかっただけです。
あなたが今、暴落の恐怖の中にいるなら、一つだけ伝えたいことがあります。
「準備はなくていい。ルールが揺らいでもいい。ただ、未来を捨てないでほしい」。



リーマンショックでのエピソードや失敗、そしてブログのご感想などがあればお待ちしています。
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