お金持ちが一人もいない町で育った私が、なぜ株式投資を目指したのか
東大阪・町工場の街から資産3億円への出発点
こんにちは、前田嘉一(まえだよしかず)です。
「投資家になろう」と決めた人には、必ず何かきっかけがあります。
私の場合、そのきっかけは32歳のうつ病でした。
でも本当の原点はもっと前、子供の頃に育った街の風景にあったのだと、今になって思います。
この記事では、私が株式投資を目指すことになった原点——東大阪の町工場の街で育った子供時代から、バブル崩壊とうつ病を経て投資家へ転身するまでをお話しします。
投資の具体的な手法ではなく、「なぜ私が投資家を目指したのか」という話です。
もしあなたが「このままでいいのだろうか」と感じているなら、何か届くものがあるかもしれません。
私が育った町——お金持ちが一人もいなかった東大阪
長屋と工場が連なる街の風景
私が育ったのは、大阪・東大阪市です。1972年から1990年まで、18年間住んでいました。
「ガチャン、ガチャン」という連続音と機械油の匂い。
そして1階は旋盤工場、2階が住居。それが長屋状態でひしめき合っている街でした。
旋盤でネジを削る音、傘の骨を組み立てる手作業、機械化できないズボンの補強を手縫いする女性たち。
給料はネジ1個いくら、という世界です。
私はこの騒音が大嫌いでした。
機械油の匂いも胸やけがするほど苦手でした。
そして家の前の道にも油が漏れていて、転ぶと服が黒く汚れて取れなくなります。
さらに金属片も落ちていて、自転車でパンクすることもありました。
子供心に「ここから出たい」と思っていました。
儲かったときと、そうでないときで変わる大人たち
一番嫌だったのは、工場の機械が止まっているときの光景です。
仕事が少ないとき、近所のお父さんたち(家内工業の社長たち)はお酒を飲んでいました。
そして仕事が順調で儲かっているときは、子供たちにお小遣いを惜しみなく配ってくれます。
でも仕事がなくて単価が安いときは、愚痴っぽいお酒になる。
酔っ払った大人たちが子供たちにかける言葉は、いつも決まっていました。
「俺みたいにはなるなよ」
「もっと勉強して、仕事を出す側になれよ」
そして今になってわかることがあります。
儲かっているお父さんに近づき、そうでないお父さんを避ける——子供ながらに、そういう目が自然と養われていたのです。
これは株式投資と同じです。
業績が良い会社の株を持ち、そうでない会社からは離れる。
いや、サラリーマンでも出世しそうな上司に近づいて一緒に成長するのも同じかもしれません。
子供の頃の経験が、後の投資哲学の原点になっていたのです。
ローンという言葉が、子供の頃から怖かった
ネジ1個○○銭の世界
町工場の給料はシンプルな仕組みです。
ネジ1個作れば○○銭。
給料を上げるには量をこなすしかない。
そして仕事を取るために単価を下げる。さらに良い機械を買うためにローンを組む。こうして単価×量で借金を返していく。
そういう世界でした。
母親たちの井戸端会議でも、こんな話がよく聞こえてきました。
「あそこの家は新型機械のために月10万円のローンが増えた。仕事がなくなったら大丈夫かな」。
さらに私が怖かったのは、母親が帰宅後にこう話していたことです。
「もしその家が困ったときは、お互い様として我が家もお金を貸してあげられるかな」と。
玄関の貼り紙、消えた友人
「仕事がなくなって収入がなければ、ローンが返せず一家は破綻する」。
この単純な図式は、子供の私でも理解できました。
実際に、玄関に返済催促の貼り紙がびっしりと貼られた家を見たことがあります。
そして夜逃げした家族もいました。
ある日、仲の良かった友人が突然学校に来なくなりました。
しばらくして、玄関に貼り紙が一杯あって引っ越したと聞きました。
その後、その友人とは二度と会えなくなりました。
噂はどんどん大きくなり、全国を逃げ回っているとか、この世にいなくなったとか。
子供心に、恐怖しかありませんでした。
「ローンが返せなくなるとこうなるのか。でもローンをしないと高価な機械も買えない」。
この葛藤は、今でも私の中にあります。
ローンは怖い。でもローンなしには生きていけない。
この感覚が、後の「ローン耐性をつけておく」という発想の原点になりました。
中学生の夢——「お金持ちになりたい」ただそれだけだった
お金持ちになる方法がわからない、でも諦めなかった
私の中学生時代の夢は「お金持ちになりたい」。ただそれだけでした。
「社長になるか、株で大儲けするか」。
方法も根拠もない、ただの憧れです。
でも、サラリーマンや町工場の職人では、お金持ちにはなれないと、ぼんやりとわかっていました。
「仕事の単価」と「酒」だけの世界。
そして「俺みたいにはなるなよ」と言う大人たち。
さらに玄関に貼り紙が貼られ、夜逃げしていく友人の家族。
ここからは何としても脱出したかった。
でも「お金持ちになる方法がわからない」。
周りに見本となる人が誰もいない。それだけでした。
不思議と諦めませんでした。
周りを見渡せば、諦めた大人たちばかりでした。
だから余計に、諦めたくなかったのだと思います。
日経平均8,000円の時代に、株の存在を知った
私が中学2〜3年生だった1983〜1984年頃、日経平均株価は8,000〜10,000円でした。
仮に当時、親や家族の中に株で成功した人がいて、「これがやり方だ」とポンと現金と方法を教えてくれていたら。
今思うと、どれだけ良かったかと思います。
でも周りにそういう人はいませんでした。
だからこの夢は、方法のないまま、ずっと潜在意識の中に残り続けることになりました。
バブルの大学時代——「成功した人」への憧れ
日経平均38,915円の時代
大学時代はバブル全盛期でした。
1989年、日経平均株価は38,915円をつけました。そして当時のことははっきりと覚えています。日本全体が無敵のように感じていた時代でした。
その頃の私にとって「成功した人」の定義はこうでした。
- 大企業に勤めている
- 郊外に一戸建てを持っている
- 高級車を所有している
- ブランド品を身につけている
- 高級レストランやホテルで飲食している
私もそうなりたかった。
それが当時の「お金持ち像」でした。
バブル期の就職活動——学生が選ぶ時代
就職活動をした1990年も、まだバブルでした。
そして金融業界を中心に、各社が採用枠を大幅に増やしていました。
私は地元の普通の大学に進みましたが、体育会でスポーツ部の主将をしていました。
そして大学の就職課に行くと、「小学生の頃になりたかった業界は何ですか」と聞かれ、その業界への就職を叶えてあげると言われました。
学生側が選べる時代でした。
採用は一回の簡単な面接で内々定が決まりました。
さらに当時は「内定拘束」が当たり前で、内定後にそのまま九州と四国への豪華な研修旅行に連れ出されました。
企業が学生を囲い込む時代です。
就職先は高速道路や橋梁などのインフラ関連の上場プライム企業でした。
ビジネス構造や財務状況より「名前に憧れて」一本に絞りました。
そして上場企業に入れた喜びは大きかったです。
さらに企業側が非常に低姿勢で、私をお客様扱いしてくれたことで鼻高々になりました。
まさに貧乏人が一攫千金を得たような感覚でした。
バブルとはそういう時代でした。
お金持ちになるために大企業に入ることが正解だったのか
大企業に入ることがお金持ちになる道だと信じていました。
それは正解だったのか、間違いだったのか。今となってはわかりません。
ただ、一つだけ確かなことがあります。
普通の家庭の子供が、入社後10年で余裕資金1,000万円を作れたのは、大企業の安定収入があったからです。
その安定があったからこそ、毎月の天引きが続けられました。
この点だけは、ありがたかったと思っています。

32歳のうつ病——そして「金持ち父さん」との出会い
バブル崩壊、そして猛烈社員の末路
夢のような時代は長く続きませんでした。
そしてバブル崩壊で会社業績も崩れ始め、給料もボーナスもカットされました。
さらに入社後6年間で600万円分持ち続けてきた自社株も、5分の1になりました。
それを私は、V字回復させようと猛烈社員になりました。
当時普及し始めた携帯電話を自費で購入し、24時間体制で働き続けました。
でも32歳で、「うつ病」でダウンしました。

療養中に読んだ一冊の本が、すべてを変えた
療養中に出会ったのが、R・キヨサキの「金持ち父さん貧乏父さん」でした。
その本には「自分のためにお金を働かせる」という考え方が書かれていました。
お金を生み出す「資産」をたくさん所有していくこと。
そして、お金持ちはこの「資産」にフォーカスして、積み上げることをしている。
さらにその資産の一つに「株式」があると。
中学生の頃の夢——株式投資家で成功するという潜在意識が、32年ぶりに動き出した瞬間でした。
これまでの32年間、私を含め周りのすべてが「貧乏父さん」の生き方をしていたのだと気づきました。
つまり、それまでの生き方がすべて「根本的に否定」された瞬間でした。

ゲームチェンジ——サラリーマン兼投資家へ
療養後、私は「金持ち父さん」の生き方へとゲームチェンジしました。
サラリーマンを続けながら、株式投資家としても生きていくことを決めたのです。
そして結果はこうなりました。
- 46歳:資産1億円
- 53歳:資産2億円、早期退職(FIRE)
- 2026年現在:資産3.1億円
東大阪の町工場の街で「お金持ちになりたい」と夢見た中学生が、57歳でその夢を叶えました。

まとめ:お金持ちへの原点は「あの街」にあった
私が株式投資を目指したのは、32歳のうつ病がきっかけです。
でも本当の原点は、子供の頃に見てきた大人たちの姿にありました。
ローンで苦しむ大人、諦めた大人、夜逃げした友人の家族。
「ここから出たい」という気持ちと「お金持ちになりたい」という夢が、ずっと潜在意識の中に残り続けていました。
そして方法がわからなくても、諦めなかった。
さらに周りに見本がいなくても、諦めなかった。
その気持ちだけが、32歳のうつ病という転機で動き出しました。
もしあなたが今「このままでいいのだろうか」と感じているなら、その感覚は大切にしてください。
次の記事では、入社後の最初の3年間にやったこと——月3万円から積み上げた具体的な方法をお話しします。→ こちら

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